mixiユーザー(id:525191)

2016年11月19日10:02

302 view

人権377〜「発展の権利」等の新たな権利

●「発展の権利」等の新たな権利

 第9章の人権発達史の新たな段階の項目に書いたことだが、人権発達の歴史は、第1段階では自由権を中心とし、第2段階では、これに社会権が加わった。1966年制定の国際人権規約は、自由権(市民的及び政治的権利)・社会権(経済的、社会的及び文化的権利)だけでなく、新たな権利をも定めた。それによって、人権の発達史は第3段階に入った。第3段階の人権は、自由権・社会権に対し、「連帯の権利」と称される。その代表的なものが、「経済的、社会的及び文化的発展」を自由に追求する権利としての「発展の権利」である。
 「発展の権利」は、1960年の植民地独立付与宣言において初めて打ち出された。同宣言は、個人の自由権及び社会権の前提として、諸個人の所属する集団の自己決定権を認めた。また、自決権だけではなく、自決権を根本として、「発展の権利」を宣言した。1960年代には個人の権利の成立条件として人民の自決権が強調された。自決権は政治的側面だけでなく経済的、文化的側面にも拡大された。そのうえで、国際人権規約に、人民の自決権とともに、それに基づく「発展の権利」が規定された。
 国際人権規約は、共通第1条の1項に「すべての人民は、自決の権利を有する」と述べて、人民(peoples)の自決権を定めた。権利の主体が個人ではなく、集団となっていることが重要である。規約は、その集団の自決権に基づいて、人民が「政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」とした。これは、個人の人権だけを規定した世界人権宣言と著しい対照を示している。これは、人権の発達史において、重大な変化だった。
 自決の権利とは、自由に物事を決定する権利として、自由権に含まれるものである。人民の自決権は、集団の自決権である。集団の権利が確立されてこそ、個人の権利が保障されるという思想が、国際人権規約に盛り込まれ、人民の独立がなければ個人の人権なし、という原則が打ち立てられたのである。個人の権利は集団の権利が確保されていて初めて保障される。近代西欧では諸国の独立と主権が確立されていたから、そのもとで個人の権利が発達し得た。集団の自決権の確立のもとに、個人の自由と権利が拡大されてきたのである。
 「発展の権利」は、集団が発展する自由への権利である。その点では、自由権の一種と言える。発展途上国の自由権である。1986年に国連総会で採択された「発展の権利に関する宣言」において、一個の権利として強調された。この宣言は、「発展の権利」について、「奪うことのできない人権」とし、権利の主体を個人だけでなく人民を含み、発展は単に経済的発展だけでなく社会的、文化的および政治的発展とした。また発展の権利というだけでなく発展に参加・貢献・享受する権利を宣言した。
 「発展の権利」は、自由権及び社会権に対して、権利の主体は個人と集団の双方であり、義務の主体は国家・先進工業国・国際機関・国際共同体であり、実現には、個人・国家・団体等の参加が必要である等の特徴がある。
 1993年に「ウィーン宣言及び行動計画」は、人権の普遍性、不可分性、相互依存性、相互関連性を打ち出し、自由権と社会権の一体性を示した。欧米では、自由権のみが普遍的・生得的な「人間の権利」であり、社会権を人権とは認めないという考え方が、今も有力である。自由を最高の理念とし、平等への配慮は個人の自由を侵害しない範囲で最小限にとどめるべきという考え方に立てば、社会権の拡大は人権の侵害となる。だが、「ウィーン宣言及び行動計画」は、自由権と社会権の一体性を打ち出すことにより、事実上こうした考え方の誤りを表明した。
 自由権と社会権が一体のものであるとすれば、これらは根源的な権利から分化したものと考えられる。根源的な権利からまず自由権が、次に社会権が展開した。さらにその後に、人権発達史の第3段階として、「発展の権利」を含む「連帯の権利」が展開したということになる。そうした根源的な権利は、権利を個人的なものではなく集団的なものと考えるときにのみ、理論的に成立する。
 他の集団に対して優位にある集団において、集団の権利から個人の権利が分化し、その後に個人間の権利の調整が行われるようになった。次に、その集団に対し劣位にあった集団が、集団の権利の回復を求めるようになった。それが「発展の権利」である。もとの優位集団はその「発展の権利」を行使し得ていたから、個人の権利の保障・拡大をなし得たのである。
 「ウィーン宣言及び行動計画」は、国家の義務を定めた点でも画期的だった。国家の不介入ではなく、積極的な取り組み、しかも義務としての履行を求めているからである。実は政府のこの役割は、もともと欧米諸国の政府が担ってきたものである。政府が国防や治安維持、司法等を担って集団の権利が確保されているから、その社会で個人の自由と権利の確保・拡大が可能になったのである。
 世界人権宣言から国際人権規約が作られ、次の段階として「発展の権利宣言」、さらに「ウィーン宣言及び行動計画」が出されるという展開は、人権の発達史の第3段階の進行だった。この進行そのものが、近代西欧で発達した人権の思想は、根本的に見直されるべきものであることを示している。
 いわゆる人権は「発達する人間的な権利」である。しかし、国際社会は、依然として、人権の発達史の第1段階で歴史的・社会的・文化的に形成された「人間が生まれながらに平等に持っている権利」「国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利」という理解をそのままにしている。その状態で、第2段階の権利、第3段階の権利を拡張している。人権の概念について根本的な再検討を行っていないのである。そのために、今日人権については、普遍的と特殊的、非歴史的と歴史的、個人的と集団的、権利と義務といった基本的な概念の関係が、乱雑な状態になっており、これらの基本的な概念の再検討がなされねばならない。本稿は、その検討を進めてきたところである。

 次回に続く。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する