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2016年11月09日09:27

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人権373〜権利の3類型

●権利の3類型〜自由権・参政権・社会権

 ここから、先に掲げた三つの基本事項のもとに、一般に人権と呼ばれる権利について、その種類と内容を検討する。その後、各国及び国際社会において最低限保障されるべき権利について論じたい。
 第2次世界大戦後の人権思想の発達の起点となった世界人権宣言は、宣言が「人権」とする諸権利を条文で謳っている。それらの権利が、現代における人権の概念の基礎になっている。
 第3条から21条は、すべての人間が享有すべきとするいわゆる市民的、政治的権利を詳細に規定している。すなわち、生存、自由、身体の安全に対する権利、奴隷および苦役からの自由、拷問又は残虐な、非人道的もしくは屈辱的な取り扱いもしくは刑罰からの自由、法のもとに人間として認められる権利、司法的な救済を受ける権利、恣意的逮捕、拘禁または追放からの自由、独立の公平な裁判所による公正な裁判と公開の審理を受ける権利、有罪の立証があるまでは無罪と推定される権利、自己の私事、家族、家庭もしくは通信に対して、恣意的に干渉されない権利、名誉または信用に対して攻撃を受けない権利、そうした攻撃に対する法の保護を受ける権利、移動の自由、避難する権利、国籍を持つ権利、婚姻し、家族を形成する権利、財産を所有する権利、思想、良心および宗教の自由、意見と表現の自由に対する権利、平和的集会と結社の自由に対する権利、政治に参加し等しく公務に就く権利及び選挙に関する権利である。
 第22条から27条は、すべての人間が享有すべきとする経済的、社会的、文化的権利を具体的に定めている。すなわち、社会保障を受ける権利、働く権利、同等の勤労に対し同等の報酬を受ける権利、労働組合を組織し、これに参加する権利、休息および余暇を持つ権利、健康と福祉に十分な生活水準を保持する権利、教育を受ける権利、社会の文化生活に参加する権利である。
 世界人権宣言後、宣言で謳われた権利は、各国の憲法に定められたり、国際人権規約に定められたり、さらに個別的・地域的人権条約に定められたりしてきた。また、その間、新たな権利が人権として追加されてきている。
 わが国の通説では、それらの権利は、その性質と保障の方法の違いによって、三つに大別される。すなわち、自由権・参政権・社会権である。自由権は、英語では civil rights の訳語であり、civil rights は「市民権」「公民権」とも訳す。参政権は political rights、社会権は social rights の訳語である。これらの三つの権利を、「市民的権利」「政治的権利」「社会的権利」と訳すこともできる。参政権に当たる英語単語には、suffrage, franchise もある。国際人権規約について、我が国では自由権規約・社会権規約と呼んでいるが、自由権規約は「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の略称であり、International Covenant on Civil and Political Rights(ICCPR)の訳語である。自由権規約は「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」の略称であり、International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights(ICESCR)の訳語である。ここでは、「市民的及び政治的権利(Civil and Political Rights)」を自由権とし、「経済的、社会的及び文化的権利(Economic, Social and Cultural Rights)」を社会権としている。
 自由権、参政権、社会権という権利の三類型が、しばしば「人権」と呼ばれる。だが、もし人権とは人間の生まれながらにして持つ権利であり、時代や社会の違いを超えて普遍的な権利だとすれば、これら自由権・参政権・社会権をまとめて「人権」とするのは、人権の定義と矛盾する。この点を明らかにし、その後に自由権・参政権・社会権の内容を確認し、「人間の権利」とは主に「国民の権利」であることを述べ、各国及び国際社会において最低限保障されるべき権利へと論を進める。

●自由権とはどういう権利か

 人権とは、自由権を中心とする自然権だとする説がある。自由権は、国家(政府)の干渉・制約を受けることなく、個人の自由な意思決定を保障する権利をいう。精神の自由、生命・身体の自由、財産の自由、信教の自由、思想・信条の自由、言論・出版の自由、集会・結社の自由等を含む。
 自由権は、国家権力の介入を排除する消極的権利すなわち不作為請求権とされてきた。この点では国家(政府)の存在を前提としている権利である。実際、自由権は近代西欧国家が成立したことにより、政府と国民の間に支配―服従関係を生じたことによって主張された権利である。ところが、17世紀の西欧に現れた社会契約説では、自由は国家成立以前から人間が生まれながらに持つ権利と考えられた。つまり、前国家的・自然権的な権利として主張された。この権利を政府が保障したとき、国家が関与した後国家的権利となったと考えられた。
 だが、政府の保障を受けた後の権利は、厳密には自然権とは言えない。その権利は、国家の内部という歴史的・社会的・文化的条件のもとにおける権利である。人間が人間として生まれながらに持っている権利としての普遍的な人権ではない。その国の「国民の権利」である。国民・非国民を問わず、無差別に保障するのでなければ、普遍的・生得的な「人間の権利」としての人権とは言えない。
 自由権は、国家(政府)の干渉・制約を受けることなく、個人の自由な意思決定を保障する権利であるから、自己決定に関する権利である。自己決定権は、社会契約説の一部で想定されるような原子(アトム)的な個人の権利ではない。集団においてその成員に認められる権利である。家族・氏族・部族や組合・団体・社団において、成員には、その集団の決まりごとに反しない限りで、自己決定権が認められる。この権利は伝統・慣習・規約等によって社会的に行使を承認された能力であり、資格である。成員は、その社会の規範に沿って、その権利を行使することを求められる。その範囲内の権利として、自己決定権は存在した。集団を離れて、全くの個人の権利は存在しない。国家も一個の集団であるから、他の集団におけるのと同様、国民には成員の権利として、自己決定権が認められる。国家に統合された集団における自己決定権を、国家が保障したとき、自己決定権は、その集団が属する国家の「国民の権利」となる。
 なお、自由権に含まれる自由は、内心の自由と行為の自由に分けられる。近代西欧において、内心の自由は信教の自由の確保から思想・信条の自由等の保障へと発展した。こうした精神的自由が重要なのは、人間は生命的・身体的存在であるだけでなく文化的・心霊的な存在であるからである。幸福の必要条件には、精神の安定や安心がある。心理的な脅迫や拷問等によって、精神の健康を害するような状況にあれば、自由な意思決定はできない。また、人間は人格的に成長・発展する存在であり、自己実現・自己超越への欲求を持つ。精神の安定・安心を得て、人格的な成長や欲求の実現を自由に行い得る権利が、精神の自由である。死後の霊魂の存続を信じる人々にとっては、死後肉体と現世の束縛を解かれて、霊魂として自由を得ることが、人生の最大の目標となる。名誉ある死、尊厳ある死、希望ある死、霊魂として成長し続ける死を求める欲求を妨害されることのない自由を保障する権利は、自由権の一つとして保障されなければならない。

 次回に続く。

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