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2016年11月01日09:46

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人権370〜人間の諸能力の基礎にある共感の能力

●人間の諸能力の基礎にある共感の能力

 世界人権宣言は理性以外の人間の能力として、良心と同胞愛の精神を揚げる。近代西洋文明が中心としてきた理性だけでは、人権と称される権利の実現はできないという認識があり、良心と同胞愛の精神を併記していると考えられる。これは、宣言が近代西欧的な思考から一歩、踏み出そうとしていることの表れだろう。
 世界人権宣言は、理性・良心・同胞愛の精神について定義をしていないが、理性は合理的能力、良心と同胞愛の精神は道徳的能力である。だが、理性・良心・同胞愛の精神は、人間の諸能力の一部にすぎず、人間の能力については、他に本能、知能、知性、感性、感覚、感情、思考、霊性、徳性等の概念が一般に用いられている。私は、人権を考察するに当たり、これらの諸能力の基礎にあるものを探求すべきだと考えられる。そこで注目したいのが、共感である。
 共感は、ヒュームとアダム・スミスが重視したものである。例えば、スミスは、人間には他人の感情を心の中に写し取り、それと同じ感情を自分の中に起こそうとする共感の能力があるとし、人間はこの能力によって自他の双方の利益に中立な「公平な観察者(impartial inspector)」を心の中に作り上げる、と説き、そこに道徳の根本を見出した。だが、共感に関する議論は、近代西洋思想史のエピソード程度にとどまり、人権に関する文脈でも主題的に検討されてこなかった。私は、人格的存在としての個人の権利を集団の権利あってのものと理解し、また集団の目的のもとに権利を責任・義務と合わせて考察する時、種としての人類に共通する基本的な能力として、共感を再評価すべきと考える。共感は、感情・感覚・思考等が未分化な心理現象であり、そこから理性や良心、同胞愛の精神が発達する共通の根にあるものと考えられるからである。
 物理的な現象に、同調、共振、共鳴がある。共感は、それらの現象に似て、他人の体験する感情や心的状態を自分も同じように感じたり、感じようとしたりする現象である。共感は、感情や感覚に限らず、思考に関しても起こる。他人の意見や主張を、自分も同じように考えたり、発想したりする。イメージやリズムを共有する場合もある。共感は、差異化に対して、相似化または同一化しようとする心理的な現象である。
 生物には本能があり、本能には後天的な学習によってプログラムが展開する部分がある。人間は他の生物に比べて非常に高い学習能力を持ち、知能を発達させてきた。学習の原初形態は模倣であり、模倣は親や年長者等の他者への共感の能力に基づく行為である。共感は、人間が知能を発達させ、文化を創造・継承する上で、重要な役割を果たしてきた能力である。
 スミスや彼に影響を与えたヒュームは、独立した個人の間における共感一般を論じた。私は、共感一般のもとには、母子間における共感があると考える。共感は、母親が子供に対して感じる能力が、基礎になっている。母子は、出産・誕生によって、二つの個体に分かれているが、もともと出産前は一体だった。子供の誕生後も、母子は、分離された身体の局所性を越えて、いのちと心の波動の場でつながっている。その波動の場の中に物質的な身体があると考えられる。母親は、子どもの感情や気持ちを、自分の心の一部のように感じる。それは同調・共振・共鳴に似た心理的な現象である。私は、こうした母子間の感情・気持ちの共通性に関わる心的作用を基礎として、共感一般が発達すると考える。
 母子間と独立した個人の間の中間に、同じ母親から生まれた兄弟姉妹の間の共感がある。その典型は、双子の場合である。双子は、同じ母親から生まれた独立した個体だが、二人の間には片方の感情や感覚、思考を同じように感じ、考えることが頻繁に見られる。二つの個体が、ほぼ同調・同期している。次に、兄弟姉妹の間は、双子ほどではないが、相手の感情や感覚、思考を同じように感じ、考えることがある。文字通りの同胞の感情である。次に、独立した個人間の関係は、違う母親から生まれた者の間の関係であるが、、そうした独立した個人の間でも、相手の身になって感じ、考えることは起こり得る。特に恋愛関係にある男女がそうであり、兄弟姉妹のように非常に親しい友人の間もそうである。超心理学でいう距離を超越したテレパシーは、こうした親子、夫婦、兄弟姉妹、恋愛関係にある男女、非常に親しい友人等の間で、しばしば起こる現象である。
 同じ母親の腹から生まれた者は、文字通りの同胞(はらから)であるが、違う母親から生まれた者同士を、同胞と称することがある。これは、同じ父親を持つという腹違いの兄弟姉妹と、父親も母親も違う個人間について言う場合がある。象徴的に言えば、天空を父親にたとえて天父とする場合と、大地を母親にたとえて地母とする場合がある。この天父地母のどちらか、またはどちらをも共通とする場合、人類はみな同胞であり、みな兄弟姉妹ということになる。こうした同胞の階層において、共感の対象・範囲は、親子、夫婦、兄弟姉妹から親族、友人等へと拡大され得る。また、共同体の内部の人々へと拡大され得る。さらに、共同体の外部の人々へも拡大され得る。こうした共通の親、すなわち同じ生命の源を持つもの同士における共感が広く働くならば、世界人権宣言にいう「人類家族」における共感と呼ぶことができるだろう。

 次回に続く。

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