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2016年08月08日08:29

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時代を越えて(103) 仲正昌樹「今こそアーレントを読み直す」

 仲正昌樹「今こそアーレントを読み直す」講談社現代新書1996 を読んだ。扉にハンナ・アーレント(1905-1975)の紹介があった。ドイツ系ユダヤ人、アメリカに亡命して、アメリカ合衆国の政治哲学者・思想家。全体主義国家の思想的解明や現代社会の精神的危機への深い洞察を著した。
ハイデガーやフッサール、ヤスパースに師事した。ハイデガーとは一時恋愛関係にあったことでも知られている。 
 著者の仲正によれば、アーレントはkyの振る舞いがあって難解とのことで、何の事かと調べたら、空気が読めない(ky)の頭文字だった。20年前の流行語だったか?
 それはともかく、新書版とは言うものの全体の把握ができないので、気が付いた所だけをピックアップして私流の解釈することとした。

 「全体主義」を近代市民社会の負の側面の現れと見る議論は、既に第二次大戦中に、社会心理学者のエーリヒ・フロム(1900-80)の「自由からの逃走」(1941)や、経済学者のフリードリッヒ・ハイエク(1899-1992)の「隷従への道」(1944)等によって提起されていた。
 フロムは制約のない自由という重荷に耐えられない人々が全体主義的権威に引き寄せられるとし、ハイエクは社会を計画的に組織化しようとする設計主義的な発想がナチズムや社会主義のような全体主義を求めると見た。
 アーレントも同様の立場であるが、フロムが社会民主主義を、ハイエクが市場原理の徹底を対抗策として挙げているのに対し、彼女の場合にはオルターナティヴ(二者択一の代案)を提案しない。むしろ、そうすべきでないというのが彼女の世界観・価値観だとのことである。
 ☆海風:フロムの場合は、第一次大戦後ドイツの特異な時代背景を無視している。他国と同じ単なる世界大恐慌だけならナチスへ向かう逃走? はなかったと思う。
 対策としての社会民主主義はヨーロッパで実現した。日本の自由党も実質社会民主主義だろう。
 アーレントのいうのは、ソクラテスの対話のようなことか? これは知識人向けだと思うが、特に、クォリティ・ペーパーの記者に願いたいところである。

 近代的な「国民国家」の成立が、「反ユダヤ主義→帝国主義→全体主義」という流れと密接に結びついているという見方がなされている。
 19世紀の初頭から中盤にかけて、ヨーロッパ各地の民衆に国民意識が急速に広まったとされる。きっかけはフランス革命とナポレオン戦争であり、支配された国民に対抗意識が芽生えた。これがナショナリズムの起源であり、国民ごとにまとまった国家を持ち外敵を排除するようになった。
 プロイセンがナポレオンに敗れてベルリンを占領された時、哲学者フィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」(1807-1808)という講演を行い、ドイツ諸邦でドイツ語・ドイツ文化教育を強化し、国民意識を高揚させる必要を強調した。
 反ユダヤ主義は、西欧諸国で誕生しつつあった国民国家の統合を促進するための身近なスローガンであった。
 ☆海風:同時代人の観察記録に、明治維新の時の一般日本人には、まだ国民意識はなかったとある。確かに、敵がいなかったし、黒船は象のサーカスみたいなイベントに見えたのだろう。
 韓国や北朝鮮の場合であるが、彼らの国民意識の高揚には日本と言う敵が70年たっても必要なのか。中国も習近平政権になって露骨な日本敵視政策を取っている。アメリカに次ぐ大国になって、なお、日本と言う敵が必要なのか。朴槿恵大統領の千年の敵が本心なら、中国、韓国、北朝鮮は日本を、彼らのユダヤ人にしようとしていることになる。
 日本も意図的に5千年? の華夷秩序を破ったわけだから、覚悟が必要なのだろう。

 「大衆社会」の誕生によって「国民国家」という理念が衰退したことが、全体主義運動を生みだすきっかけになった。
 19世紀後半に、国民国家を基盤として福祉や公共事業が整備されるようになると、選挙権を与えられて、かえって人任せになった受動的な市民たちは政治の消費者と化す。これが大衆の一般的なイメージである。
 ☆海風:日本のジャーナリズムではそれを浮動票と言って来た。特に、大都会では集積効果として、生活環境や職業選択の機会がたくさんある。だから鼓腹撃壌状態であった。新聞はいつも政権批判をしているが生活には困らない。
 近年の環境変化は、新聞以外の情報がネットからあふれ出すようになったことである。隣国の様子や野党の内部事情の噂話も拡散している。これが小泉劇場の時とは異なっいて、小池劇場の新しさだと思える。

 階級的な支持基盤を失った政党の中には、無構造でその時々の気分に流されやすい大衆を組織すべく「世界観政党」としての性格を強めるものが出てくる。そのなかで、成功したのが、ナチスやイタリアのファシズム運動、ソ連のボルシェヴィズム等であった。
 全体主義は、現実の世界の不安や緊張感に耐えられなくなった大衆が逃げ込むことのできる、トータルな空想世界を構築する。
 ☆海風:今問題なのは、トランプ候補によるメキシコ不法移民の排撃だろう。万里の長城のような鉄条網のなかに籠るイメージのあるアメリカ第一主義が低所得アメリカ人に希望を与える世界観になるかどうか? 日本の九条護持に似ているが新しいアメリカの夢にはなるとは思えなくなってきた。


 アーレントは閉じた言語空間の内部を均質化・純粋化しようとすれば、物の見方の多様性は抑圧され複数性(多様性)は死滅する、という。師であるハイデガーがドイツ語で思考する者にとっての真理に拘っていたのに対し、アーレントは特定の言語共同体に限定されない人間の条件としての複数性に拘っていたのである。
 アーレントは人間の最重要条件として複数性を生みだす「活動」を重視する。その「活動」の原型をアテネなどの古代ギリシャのポリスに見出している。
 ポリスの基本構造は「公的領域」と「私的領域」に分離されている。「公的領域」は、対等な立場に立つ市民(市民権を持った家長)たちの自由な討論によって、(ポリス全体を一層発展させるための)政治がおこなわれる領域である。自由な討論によって複数性の余地が広がる。
 「私的領域」とは、家族や奴隷たちによって行われる農場経営や工業などの家業の活動である。英語のeconomy の語源になったギリシャ語は oikonomia であるが、これはoikos (家)を運営する術と言うことである(であるなら、経済よりも経営と訳した方が近い)。
 家単位の経済活動が無くなったあと、経済を中心にした半公的・半私的領域が拡大した。これを社会的領域と呼ぶ。社会的領域において疎外が進行し、人間らしさが失われてゆくにつれ、人々はプライベートな「親密圏」の中に人間らしい魂のつながりのようなものを求めるようになる。アーレントにとっては、人間らしさは、あくまでも公共的な場での活動を通じて獲得されるものであるべきものである。
 ☆海風:この部分がアーレント理論の中核ではなかろうか。全体主義に流されず、自立しているが国家集団の方向性については生涯にわたって議論を続けている。宮沢賢治風に言えば、日照りの夏も、広場に出かけ皆で集まり議論する、のである。
 日本の現状は、大学教授まで極右だのヒトラーなどと言って対話拒否している人がいる状態である。大学は象牙の塔というより党派の砦のようにみえる。70年の大学紛争が原因だったのだろうか。

 アーレントが古代ポリスの環境と結び付けて人間性という理念を考えていることで分かるように、人として生まれただけで人間性は身につかないし、複眼的思考もできるようにならないとする。(ルソーのいう高貴な野蛮人も認めないのだろう)
 アーレントは外的な障害物を除去しさえすれば、人々は自由な状態へと自然に回帰するという「解放」の思想の拡大を警戒する。抑圧や貧困からの解放を自由それ自体と混同する近代ヒューマニズムの根源にフランス革命があると見ている。
 ☆海風:マルクス主義の言う原始共産性もなかったし、アダムが耕しイブが紡いだ時にも族長と呪術師はいたし、飢饉の時には地母神に犠牲をささげたに違いない。犠牲は家畜も減っているので人間しかなかっただろう。

 人として生まれたことよりも、人格=仮面(persona)を演じることを人間の条件として重視するアーレントは、仮面を偽善として素顔を暴露することは有害でしかない。
 近代の哲学者が人間の根底にある本質を追求したのに対して、アーレントは「見せかけ=現れ」を重視する。政治の本来の場である公的領域は「現れの世界」である。
 それに偽善者と役者の語源は同じだそうである。
 アーレントの枠組みで考えれば、2チャンネルでの匿名のおしゃべりから公共性は生じないとのことである。
 ☆海風:まさしく封建道徳とは父母と子供たちの仮面をかぶっての演技指導だった。今はもう、そんな演技に飽きてしまって誰も見向きもしない。笹川良一の「人類は皆兄弟」は珍獣を見る思いだった。
 ネットのハンドルネームでは仮面にならないのか。保守系の情報提供型で人気があるのは、「余命三年時事日記」や「かみかぜじゃあの」などがあるが、トランプ現象のように表舞台を動かすことがあるのかどうか、分からない。


 アメリカの建国の父たちは、ロベスピエールのように解放さえすれば自然本性に根差した秩序が立ち上がるなどとは考えていなかった。植民地時代にできていた住民自治の組織を州に構成し、さらに憲法によって合衆(州)国の構成へと進んでいった。
 ☆海風:アーレントの理想は、アテネとアメリカ建国の時のようである。イギリスの立憲君主制に落ち着いた議会政治もそうだったと思うが、対話のメンバーはある程度の同質性が条件のようである。今の自民党と民進党のようにかけ離れていては対話が成り立たない。日本を良い国にするためにではなく、支持母体の集団のためにのようだから、共通の土俵が無いのである。蓮舫さんが次の代表のようだが、どこまで同じ土俵に乗れるのだろうか。


 対話に参加しない傍観者ではだめなのか?
 活動的生活と観想的生活
 ☆海風:著者は、観想的という言葉に思想家までいれているようだが、通常は宗教者的なイメージがする。瞑想だとか静寂主義を思いだしてしまう。無論、長い時間の後に彼ら瞑想者の思想が現実社会に登場することはある。
傍観者といえば、ただ見ているだけのイメージで、観想的とは印象が異なっていると思える。
 傍観者で思い出すのは、ドラッカー自伝「傍観者の時代(今は題名の訳が違うらしい)」(Adventures of a Bystander)である。ドラッカーは 1909-2005 の生涯で、アーレントと同時代人の企業コンサルタント。それに、ユダヤ系オーストリア人で、アメリカに亡命したことも似ている。さらに、「経済人の終わり」で、手段を選ばぬ利潤追求の結果として大恐慌が起き、その結果ナチスが勃興したと見て、社会的存在としての企業経営を推進する助言者だったのだが、その自伝の題名がBystander だったから、経営学者の書いた、解釈に困惑したとの書評を読んだことがある。
 ところで、この自伝は「福翁自伝」の「法螺は福沢、嘘は言うきち(諭吉)」みたいな感じがして世界と時代を股にかけた傑作だった。
 本題に戻すと、ドラッカーは企業経営者と従業員を含めた全員がよくなるように対話を続けてきたわけだから、アーレントの言う「社会的領域」での対話者だったと言えるのだろう。そういうことなら傍観者で良いということになる。

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