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2016年07月09日09:48

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人権328〜「人間の安全保障」と人権の発達(続き)

●「人間の安全保障」と人権の発達(続き)

 人間の安全保障は、人権の概念と深い関係がある。その点について、センは『人間の安全保障』で次のように述べている。
 「人権の概念と人間の安全保障の考えとの間」には、「補完し合う関係」がある。「人間の安全保障を人権の一部とみなす利点の一つは、権利にはそれに応じた義務が人々や機関に生じることである。こうした義務は特定の人または行為者(エージェント)に課される具体的な要求として『完全義務』の形を取ることもあれば、援助し得る立場にいる人の誰もが要求される『不完全義務』になることもある」と。
 まずセンは、人間の安全保障を人権の一部とみなすという見解を明らかにしている。人権を擁護する方法として、人間の安全保障という概念が打ち出されたと考えられる。次に、センは、人間の安全保障を人権の一部とみなす利点の一つとして、権利にはそれに応じた義務が生じることを挙げている。単に権利の実現・拡大を説くのではなく、権利の実現・拡大のために、人々が果たすべき義務を説いている。ここでセンは、カントに基づき、義務には完全義務と不完全義務があるとしている。
 センは、『人間の安全保障』で次のように述べている。完全義務とは、「特定の人が行わなければならない特別な行為として、すっかり明確化された義務」である。これに対し、不完全義務は、「完全義務を超えた倫理的な要求」であり、「人権を脅かされている人に適切に支援をほどこせる立場にいる人すべてに、真剣な考慮を求める要求が含まれている」と。
 完全義務とは、契約や約束、法律の規定等によって課される義務である。これに対し、不完全義務とは、道徳的に要求される義務である。サンデルは、普遍的な義務を自然的義務、個別的な義務を自発的義務と呼ぶが、この前者が不完全義務、後者が完全義務に対応する。センは、不完全義務の履行を促すことが、世界の貧困問題や不正義等の解決のために有効だと考えている。サンデルが強調する家族・民族・国民等の間での「連帯の義務」は、関心の対象となっていない。
 カントにおいては、道徳的に要求される普遍的な義務は、キリスト教的な文化に基づくものだった。センの場合は、仏教の教えを参考にしている。
 『正義のアイデア』でセンは、次のように書いている。
 「我々の行為は自己利益を目的とする協力だけに限られるのではない。もし、ある人が、この世における不正義を取り除く力を持っているなら、それを行うことを支持する社会的議論が存在する。この一方向的な責任は『有効な力の責任』と呼ばれ、協力における相互責任とは異なる」。
 「力の義務という視点は、ゴータマ・ブッダの『スッタニパータ』で強力に展開されている。そこでブッダは、人間が動物に対して義務を負うのは、まさに両者の間の非対称性のためであり、協力の必要性に導く対称性のせいではないと論じている。人間は他の生物より非常に強力なので、力の非対称性に結びつく他の生物に対して我々は義務を負うとブッダは論じている。ブッダはこの点を説明するために次のような喩えを用いている。すなわち、子どもに対して母親が義務を負うのは、子どもを産んだからという理由ではなく、子どもの命に関わることで、子どもが自分ではできないことを母親にはできるという理由からである」と。
 カントの場合は、力のあるなしに関わらず、人間には誰しも同胞に対する普遍的な義務があるという考え方である。センは、これとは違い、力のある者は力のない者に対して責任があると言っているから、特定の者が特定の相手に対して担うべき責任を言っている。人間と動物の間の責任という喩えは、人間と人間の間に当てはめるには不適切だが、世界的な富裕層が世界的な貧困層に対して、または豊かな先進国の国民が貧しい発展途上国の国民に対して意識すべき責任を示唆するものだろう。
 ここでセンが、母親の子どもに対する義務を、一般的な「力のある者の責任」ととらえていることも、不適切である。なぜならば、母親が子供に対して持つ義務は「不完全義務」ではない。センは、不特定の人間に対して人間同胞として持つ普遍的な義務と、子どもを産んだ母親が子供に対して持つ特別の義務を同様のものと考えてしまっている。そのため、キリスト教、仏教等の宗教や様々な道徳思想、価値観の違いを超えて、説得力のある主張にはなっていない。そういう欠陥はあるが、人々に道徳的に要求される義務の履行を求めるセンの思想は、人類の道徳的な向上を呼び掛けるものである。

●人間開発と人間の安全保障

 以上述べてきた人間開発と人間の安全保障は、ともにセンが深く関与している概念である。これらの関係について、センは次のように述べている。
 「人間の安全保障は、『不利益をこうむるリスク』とも呼ばれるものに直接、目を向け、拡大傾向の強い人間開発を効果的に補う」「開発を中心としたアプローチは、『公正な成長』に集中しがちである」「対照的に人間の安全保障は『安全な下降』に真剣に目を向けることに重点を置いている」
 「安全な下降」とは、景気の下降による貧困層への影響をできるだけ小さくしようとすることである。
 「私たちは人間開発を重視する取り組みから手を引くことなく、現在、世界が直面していて、これからも長年、直面し続ける人間の安全保障の難題にも立ち向かわなくてはならない」とセンは主張している。
 人間の安全保障と人間開発は相補的なものであり、大まかに言うと、人間開発が自由の拡大を目指すもので、人間の安全保障が平等に考慮するものという関係にあると言えよう。これらはロールズの正義論を国際的な場面で批判的に応用したものであり、前者が第一原理を、後者は第二原理のうち格差是正原理を発展させたものと見ることができる。
 国連では、2006年(平成18年)に総会の補助機関として国連人権理事会が設置されて以来、国連の人権活動は新たな局面に入り、国連では人権の主流化が進んでいる。その中で、人間開発と人間の安全保障は活動の柱となる重要な概念となっている。それゆえ、現代世界におけるセンの思想の重要性は、非常に大きなものとなっている。人権の考察においても、センの思想の検討は欠かせない課題である。
 本章では、正義の概念とその歴史を振り返り、第2次大戦後の人権と正義に関する議論として、ロールズ、彼の批判者及び継承者の理論と主張について述べた。その中で、リベラリズム、コミュニタリアニズム、ケイパブリズムについて書いた。次章では、それを踏まえて国際社会における正義について検討する。

(第10章 終わり)

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