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2016年03月14日09:35

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“学ぼう、日本のこと”セミナー2

4.日本文明の独自の要素

(1)神道

 日本文明の独自性を示す要素がいくつかある。その中から、神道・皇室・武士道の三つについて述べる。第一は神道。アーノルド・トインビーは、文明の中核には宗教があると説いた。ハンチントンもこの説に従っている。日本文明の中核となるのは、固有の宗教である神道である。
 第二は皇室。日本文明は、皇室を中心とした社会を構成している。神話に現れる皇室が、古代から歴史の時代を貫いて今日まで、連綿と続いている。
 第三は武士道。日本文明は、12世紀から武士が政権を担い、約700年間、武家政権の時代が続いた。幕末の危機を乗り越え、近代化に成功できたのは、武士道によるところが大きい。
 日本文明の特徴の第一の要素として、最初にこの神道について述べる。
 わが国は、四季の変化に富んだ豊かな自然のなかで、人々が天皇を中心として、一大家族のような社会を構成してきた。
 この社会に自ずと発生・成長したのが、人と人、人と自然が調和して生きる「日本精神」である。また、その日本精神の宗教的な表現が、神道である。 読み方は、シントウという。シンドウと濁らない。大和言葉では、かむながらの道という。
 神道というと、普通神社を思い浮かべると思う。全国各地に8万社の神社がある。そこにさまざまな神が祀られ、時々の祭りが行われている。
 神道は、日本古来の伝統的な宗教である。民族宗教であるという点で、ユダヤ教と比せられる。教祖や啓典はない。神話に始まり、自然崇拝・祖先崇拝を主とする。
 神道というと、戦前の軍国主義と結びついた「国家神道」を思い浮かべる人もあるだろう。また、原始的な宗教だと思う人もあるだろう。しかし、神道はもっと豊かなものであり、そこには自ずと「日本の心」が現れている。
 わが国では古来、何かしら尊いもの、偉大なものに触れると、それを「カミ」と呼んで崇めたり、畏れたり、親しんだりしてきた。それが自然の事物だったり、人間の霊魂だったり、生きている人間だったり、対象はさまざまである。何でも「カミ」として祀られる。八百万の神々と言われる。「神」の字をあてる。
 神道には、海の神、山の神といった自然神のほか、先祖や偉人・英雄などの人間を仰ぐ人間神もある。人間と自然との間に隔てがなく、人間と自然が連続している。
 八百万の神々の中心と一般に考えられているのは、『古事記』『日本書紀』に現れる天照大神である。天照大神は太陽神であり、皇室の祖先神とされる女性の神である。
 天照大神は宇宙の始めから存在する神ではない。男性神であるイザナギが生んだ三人の子供のうちの一人である。それゆえ、天照大神は、神々の系譜ではかなり後の代に現れた神である。天照大神は、神々の中心と言っても、物事を決定する時は、他の神々を集め、衆議によって行う。専制的・独断的でない。
 神道が、単なる多神教ではないことを示唆するものがある。天御中主命という神格である。
 天御中主命は、『古事記』の冒頭に現れる。「アメノミナカヌシ」という名前の通り、宇宙の中心に存在する神である。この神を根源的・原理的な神ととらえ、宇宙の根本理法であり、かつ万有顕現の原動力を象徴したものととらえることが可能である。そして、天照大神を含む八百万の神々は、すべて天御中主命という本源の神の現れと位置づけることができる。
 一神教の文明では、キリスト教とイスラーム教、カトリックとプロテスタント等の間で宗教戦争が多く行われてきた。これに比し、日本文明の歴史には、宗教戦争がない。それは多様なものを受け入れ、共存させる神道の性格によっているものだろう。神道は仏教が渡来するとそれを受容して共存し、やがて融合した。道教、儒教に対しても同様である。
 宗教には一神教、多神教等の違いの他に、陸の影響を受けた宗教と海の影響を受けた宗教と分けることができる。
 ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教や道教・儒教・ヒンズー教・仏教は、どれも大陸で発生した。これに比べ、神道が他の主要な宗教と異なる点は、海洋的な要素を持っていることである。
神道の海洋的要素として、国生み神話、みそぎ、海による浄化、海の彼方の来世・故郷または海底の理想郷、海から来る訪問者等が挙げられる。
 大陸的な宗教が陰の性格を持つのに対し、神道は陽の性格を持つ。明るく開放的で、また調和的・受容的である。これは、四方を世界最大の海・太平洋をはじめとする海洋に囲まれた日本の自然が人間の心理に影響を与えているものと思う。
 21世紀の世界で対立を強めている西洋文明、イスラム文明、シナ文明、東方正教文明には、大陸で発生した宗教が影響を与えている。
 これに比べ、神道は海洋的な要素を持ち、日本文明に海洋的な性格を加えている。日本文明のユニークな海洋的性格が、大陸的文明同士の摩擦を和らげ、大いなる調和を促す働きをすることを私は期待する。
 ただし、神道が今のままで止まっていたら、単なる民族宗教で終わるだろう。神道の中にある価値は、日本文明以外の文明や、人類社会に生かされることなく、封じられたままとなるだろう。そこで、神道を世界的な視野で見直す必要がある。
 今日、外国人の有識者で神道に注目する人々が、次々に現れている。それらの人々の声にもっと耳を傾けるべきである。
 世界の文明史を書き表した20世紀最大の歴史家、アーノルド・トインビーは、日本の文化の根源には、神道があることを見出した。彼は、昭和42年に来日し、11月29日、伊勢神宮に参拝した。そこで彼は、毛筆で記帳し、次のように書いた。
 ”Here in this holy place I feel the underlying unity of all religions.”(この聖地で私は、すべての宗教の根底にある一体性を感じる)
 アンドレ・マルローは、フランスの作家で、初代・文化大臣もつとめた。昭和49年に来日したマルローは、5月27日に、熊野の那智滝で飛瀑を前にし、「アマテラス……」と言ったなり絶句し、そこで啓示を受けたと言う。さらに2日後には、伊勢神宮で第2の啓示を受けた、と。
 マルローは「伊勢神宮とアインシュタインの相対論的宇宙観とは収斂する」と述べた。彼は、神道によって、科学と宗教、東洋と西洋が融合する可能性を直観したのである。
 他にも、神道に注目する外国人が増えつつある。
 大塚寛一先生は、神道について、次のように説いておられる。

 「数多くある宗教の中で、争いを起こしていない宗教が一つだけある。それは日本の神道である。そして日本神道は、非常に陽気な陽の宗教であるとともに、どんなものでも受け入れてしまう包容力を持っている。その証拠に日本に仏教が入ってきても、またキリスト教が入ってきても、日本神道はそれらの宗教を排斥していない。
 また、日本の国はアジア大陸の東端にあって、ちょうど吹きだまりのような位置にあるから、今までにいろいろの人種が入ってきている。しかし、しばらくすると、神道の感化を受けて、みな同化し仲良く暮らしてゆくようになっている。ところが他の国では、なかなか日本のようにゆかず、凄惨な争いをしている。このことを見ても明らかなように、日本神道は真理・神の道に則って、無意識のうちに人々を導く宗教なのである。
 神道の中に秘められた深い哲理は、文化が進んで人間の知能が発達しないと、説明しても理解することができなかった。だが、今日ではあらゆる学問や科学が進んできているので、その深い哲理を説明すれば、解釈がつき、理解できる時代になっている。
 したがって、その最高究極の原理を中心に進むとき、天地自然の法則と一体化して万人が欲する理想世界が実現するのである。(略)それは現代の科学以上の超科学であり、絶対最高のものである。それが世に出て広まることにより、初めて世界の対立摩擦がなくなって、共存共栄の社会が実現するようになる」

 今日の世界において、神道の本質を把握し、その中にある潜在を発揮することができれば、地球環境の保全や国際社会の共存共栄に貢献できる。そういう可能性が神道には眠っていると私は思う。
 日本人自身が、日本精神の宗教的表現である神道と、その中に潜む大きな可能性に目を向けるべき時である。

推薦図書
・阿部正路著『神道がよくわかる本』(PHP文庫)
関連掲示
・<ほそかわ・かずひこのオピニオン・サイト>より
 「日本文明の宗教的中核としての神道」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09l.htm

(2)皇室

 日本文明を特徴づける第二の要素は、皇室である。神道は皇室と切り離せない。それは、天皇が神道の祭祀を司ることに明らかである。
 次に、皇室に関する大塚寛一先生の言葉を紹介する。

 「西洋の思想がはいって、日本人がそれにとらわれているから、今日天皇の存在が影をひそめている。しかしこの傾向は本筋から外ずれている」
 「日本は一輪の花同様な家族制度が、人為的でなく、自然のうちにできあがって、各家庭には家長がありその周囲に家族がいる。国家もまた天皇を中心と仰いで国民が団結し、国を守ってきた」。

 日本の伝統や文化をよく知る外国の有識者が、日本の国のほかの国にない特徴としてよく挙げるのが、皇室の存在である。現在の天皇は第125代。古代から今日まで一系の皇室が続いている。こういう国は、他にない。イギリス、デンマーク等の王室の歴史は、せいぜい数百年である。シナでは、古代から王朝・民族が何度も変わっている。
 わが国の戦後の憲法は、主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を三原則とするといわれるが、それらの三原則よりも、明確に日本の特徴を現しているものがある。それが象徴天皇制度である。
 憲法には、第1章に天皇のことが書かれている。天皇は「日本国の象徴」であり「日本国民統合の象徴」とされている。「天皇制」は左翼用語、正しくは皇室制度という。
 わが国は、皇室が国の中心に存在し、皇室を中心に国民が団結して、歴史が織り成されてきた。これが日本の国柄の比類ない特徴。この国柄の最も明らかな特徴を学ぶことなくして、日本の歴史・伝統・文化を深く理解することはできない。
 では、こうした国柄を持つ日本に伝わっていた心とは、どういうものか。それを皇室に見てみよう。
 皇族男子は、名前にみな「仁」という文字がついている。(明治、大正、昭和、今上、皇太子、秋篠宮等)これは平安時代からの慣習だという。このことは、皇室が「仁」ということを非常に大切にされていることを表わしている。
 「仁」とは、いつくしみ、思いやりを意味する。
 「仁」のルーツは、はるか歴史をさかのぼる。
 小学生に最初の天皇は誰かと聞くと、推古天皇、仁徳天皇などと答える。初代は、神武天皇だが、教科書に載っていない。
 神武天皇は、一説によると2676年前に、奈良県橿原の地で、最初の天皇の位についたとされる。そのとき、「橿原建都の詔」という言葉を発したとされる。その詔(みことのり=天皇の言葉)の中に、国民を意味する言葉として「民」「元元」がある。これを「おおみたから」と読んでいる。国民を宝物のように大切に思うという意味である。
 ここに「仁」のルーツがある。
 また「橿原建都の詔」には、次のようにある。「六合(くにのうち)を兼(か)ねて以(も)って都(みやこ)を開(ひら)き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いえ)と為(せ)むと、亦(また)可(よ)からずや。(国中をひとつにして都をひらき、天の下を覆ってひとつの家とすることは、また良いことではないか。)
 国中が一つの家族のような国、世界中が一つの家族のような世界をつくりたい。そういう理想を持って、日本の国は建国された。
 この建国の理想を一言で「八紘一宇」という。八紘一宇は、日本がアジアを侵略したスローガンのように思われたが、東京裁判では、なんら侵略的な意図はない言葉で、英語ではuniversal brotherhood、つまり人類みな兄弟という意味だと確認された。
 他の国では、国王・皇帝は、自分の権力を求め、国を支配し、国民から搾取する。それゆえ、それに恨みを抱いたものが、政権を奪い、新たな王朝を立てる。それを繰り返してきた。
 それに対し、日本では、建国の理想のもとに、天皇が国民をわが子のようにいつくしみ、国民に思いやりを持ってまつりごとを行う。国民はこうした天皇の御心に応え、天皇をわが親のようにしたい、天皇を中心として国民が家族のように結び合って生活してきた。だから、天皇が125代も続いている。
 そして、各家庭にあっては、親は子供を愛情を持って育て、子どもは、親を何処までも大切にする。夫婦は、男女の特長を認め合い、欠点を補い合って、和をもって生きる。また祖先を大切に祀り、子孫の幸福・繁栄を願って努力してきた。
 そうした家庭が寄り集まって、一つの国をなしている。社会にあっては、人々が助け合い、共存共栄を心がける。海外の文化も積極的に取り入れて、固有のものと調和させてしまう。その日本の国の中心には皇室があり、国民は皇室を中心として団結する。これが、日本のもともとの姿であり、これこそ、日本人が世界に誇ることのできる国柄であり、その心である。
 明治維新にあたり、明治天皇は、五箇条の御誓文を発せられた。御誓文は、近代国家日本の出発点において、国是つまり国家の根本方針を示したものである。
 第一条には「広く会議を興し、万機公論に決すべし」、第二条には「上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸(けいりん)を行ふべし」とある。天皇を中心に仰ぐ新しい国を作ったところで、天皇は、国民に対して、広く会議を行なって、何でも話し合って決めたい、身分の上下に関係なく、みな心を一つにして国づくりを進めたいと言っている。
 神武天皇の国民を「おほみたから」と思う心や「八紘一宇」の理想が受け継がれていることがわかるだろう。
 次に、明治23年に、明治天皇は、教育勅語を発せられた。教育勅語は、日本の国の国柄とその心を表わし、これを教育の根本にすえたものである。
 冒頭に「朕(ちん)惟(おも)うに 我が皇(こう)祖(そ)皇(こう)宗(そう) 国を肇(はじ)むること宏遠に 徳を樹(た)つること深厚なり」とある。
 皇祖皇宗つまり皇室のご先祖が、国を始めたとき、徳というものを立てましたというのが出だしの意味である。その徳とはなにか。これが先ほど述べた皇室に伝わる「仁」である。天皇が国民に対し、いつくしみ、思いやりを持ってまつりごとを行なうことである。
 こうした天皇の御心に応えて、国民は、君に忠、親に孝を実行してきたと勅語は言う。それが「我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に」の意味である。
 忠とはまごころを意味する。まごころをもって、天皇に仕えることを、君に忠という。親に孝とは、子どもが親を大切にすることをいう。このようにして、国民が忠孝を実行してきたことが、日本の国柄の最も美しいところだと勅語はいう。それを、教育の根本にすえようと言っている。「億兆心を一にして 世々厥(そ)の美を際済(な)せるは 此(こ)れ我が国体の精華にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す」というのがその部分である。
 勅語は、続いて、家庭における道徳、社会における道徳、国民としての道徳を具体的に説く。それは、学校教育だけでなく、家庭教育の指針ともなっていた。だから戦前の世代の日本人は、うそをつかない、約束を守る、よく働く、みなで助け合うなど、外国人も驚くような立派な国民性を持っていた。
 このようにして、神武天皇の詔から五箇条の御誓文、教育勅語に一貫して伝わってきたもの。それが、日本人の精神、日本精神といえる。
 この日本精神の表れが、宗教的には神道であり、国家的には皇室を中心とした国柄である。そして、次に述べる武士道もまた日本精神をよく表している。

推薦図書
・渡部昇一著『皇室はなぜ尊いのか』(PHP文庫)
・櫻井よしこ+大原康男他著『皇位継承の危機いまだ去らず』(扶桑社新書)
関連掲示
・<ほそかわ・かずひこのオピニオン・サイト>より
 「君と民」「天皇と国柄」の項目
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/j-mind10.htm
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion05.htm

 次回に続く。

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