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2016年03月10日08:54

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イスラーム27〜「アラブの春」の影響は続く

●持続・拡大する各国への影響(続き)

 「アラブの春」は、エジプトから隣国のリビアに波及した。2011年(平成23年)2月、リビアでは最高指導者で国家元首であるカダフィの退陣を求める反政府デモが発生した。ナーセルにあやかって大佐と称するカダフィは武力によって民衆の運動を弾圧しようとしたが、軍の一部が反乱を起こした。反政府勢力が首都を制圧し、10月20日カダフィは射殺された。42年間続いたカダフィ政権は崩壊した。
 カダフィ政権崩壊後、制憲議会が民選された。新たな議会が創設され、シンニー首相が政権に就いた。だが、これに反発するアルカーイダ系組織を含む「リビアの夜明け」連合が独自に首相を擁立し、内戦状態となった。この内戦は、今も続いている。
 「アラブの春」は、トルコでも反政府運動の高揚をもたらした。トルコ共和国は1923年(大正12年)のケマル=アタチュルクの建国以来、政治とイスラーム教を切り離す政教分離の原則のもとに、世俗化と近代化を進めてきた。ところが、2003年(平成15年)に首相となったエルドアンは、敬虔なイスラーム教徒で、夜間の酒類販売禁止などイスラーム教色の強い政策を打ち出した。2011年(平成23年)春、これに反発する若者がイスタンブールなど各地で反政府行動に出て、混乱が広がった。エルドアンは、この混乱を強権的に収めて、2015年に大統領となった。これへの反発が続き、政情が不安定になっている。
 サウジアラビアの南に位置するイエメンでも、「アラブの春」の影響で、市民による反政府デモが発生した。この結果、サーレハ大統領が退陣し、ハディ副大統領が2012年(平成24年)2月の暫定大統領選挙で当選した。しかし、2014年9月、イランが支援するシーア派系の武装組織フーシー派が首都サヌアを占領し、翌年1月22日にはクーデタを起こし、ハディ暫定大統領とバハーハ首相を辞めさせて政権が崩壊した。2月6日にはフーシー派が議会を強制的に解散し、暫定統治機構として大統領評議会を開設し、「憲法宣言」を発表した。これによって、2011年以来の移行期プロセスが崩壊し、国家そのものも崩壊の危機にある。
 「アラブの春」は、他の国々にも波紋を広げた。最大の影響をもたらしたのは、シリアである。
シリアでは、1970年代から40年以上、アサド大統領が絶対君主として君臨している。アサドが支持基盤としている宗派は、シーア派の一分派であるアラウィー派である。アラウィー派は、シリアの人口の12%を占める。アラウィーは、アリーから派生した言葉である。アラウィー派はスンナ派の迫害を逃れて山岳地帯に居住した。次第にシリアの土着宗教やキリスト教の教えを受け入れるようになり、聖母マリアすら信仰の対象としている。キリスト教的なイスラーム教ともいわれる。
 シリアの軍隊には、アラウィー派が多い。アサドは、そうしたシリアの軍隊に入り、バース党に入党した。1963年(昭和38年)3月に、バース党を黒幕とする軍部がクーデタを起こした。続いてアサドは70年にクーデタを起こして全権を掌握し、71年から大統領としてバース党の支配体制を維持している。アサド政権はスンナ派の蜂起を弾圧して軍事独裁を続けてきた。
 こうしたシリアに「アラブの春」が波及し、アサド政権とこれに反対して民主化を要求する勢力との間で内戦が発生した。アサド政権に反対する主な勢力は、「自由シリア軍」と呼ばれ、米欧がこれを支援している。また、内戦発生当初から、イランがアサド政権を、サウジアラビアがスンナ派主導の反体制派を支援している。
 シーア派の地域大国イランは、イラクのマリーキー政権(当時)、シリアのアサド政権、レバノンのシーア派組織ヒズボラと同盟関係にあり、その影響範囲は「シーア派三日月地帯」と呼ばれる。イランは、この三日月地帯の中間に位置にするシリアで影響力を拡大すべく、アサド政権を支援している。一方、スンナ派の盟主を自任するサウジは、シリアへのイランの影響力を排除しようとしている。今日のイスラーム文明において、宗派の異なる二つの地域大国が、シリアをめぐって対立している。シリア問題は、国際的な宗派対立の問題へと発展している。
 内戦が続くなか、2013年(平成25年)8月末、米国政府は、アサド政権が化学兵器を使用したことに「強い確信がある」とし、少なくとも1429人が死亡したとする報告書を発表した。化学兵器による大規模攻撃は8月21日に首都ダマスカス郊外で起きたとされる。反体制派は政権側が攻撃したと非難、政権側は反体制派の仕業だと反論し、真相は解明されていない。
 その後もシリアの内戦は、泥沼化している。中東や東南アジア等のイスラーム教諸国や米国、西欧諸国からもイスラーム教徒の義勇兵が反政府側に多く参加している。イラクからは、スンナ派の過激派武装組織「イラクとレバントのイスラーム国家」(ISIL)がシリアの戦闘に参加した。ISILは、シリアで戦闘力や資金力を増強し、イラク国内で反マリーキー政権の武装闘争を展開するようになった。このISILこそ、「イスラーム国」を自称し、カリフ制国家を宣言することになる過激組織である。そして、後に述べるようにISILが急発展すると、ロシアとイランがテロとの戦いを大義として干渉し、シリアの内戦を「シリア戦争」にエスカレートさせた。
 「アラブの春」の波紋の中から浮上したISILの活動及び圏外諸国の軍事介入によって、イスラーム文明の対立・抗争は、新たな局面に入った。東京大学名誉教授で中東・イスラーム地域事情の権威である山内昌之氏は、「アラブの春から5周年を迎えて、ISの緑色テロが猖獗を極める現実は、大アラブ革命の挫折を象徴すると言えるだろう」と述べている。

 次回に続く。

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