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2016年03月05日08:40

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人権277〜夫婦別姓導入で予想される弊害

●夫婦別姓導入で予想される弊害(続き)

(2) 親子別姓・離婚増加等によって、子供が被害者になる

 わが国に夫婦別姓という異文化の制度を持ち込むとき、最も苦しむのは子供だろう。夫婦別姓は、必然的に親子の間で姓が異なる「親子別姓」をもたらす。父母の姓が違う。親と自分の姓が違う。そういう事態は、子供の心理に悪影響をもたらす。家族的アイデンティティがあいまいになる。人権の一種として子供の権利が強調されるが、夫婦別姓を導入すると、子供は被害者になる。
 1970年代、個人主義やフェミニズムが横行したアメリカでは、今や2組に1組が離婚している。そのうち約7割が3年以内に再婚し、さらにその約6割は再び離婚して、3回4回の離婚はざらにあるという。子供の約6割が18歳までに両親の離婚を経験し、その3分の1が親の再婚と2度目の離婚を経験するため、継母・継父の児童虐待が深刻な問題となっている。虐待は報告されているものだけでも、年間2百万件を越える。そのような環境で育てられた子供は、少年犯罪や麻薬の汚染、十代の出産に走る傾向がある。子供たちが受ける心の傷は癒しがたいものとなるだろう。
 近年、日本では離婚が増加しており、多くの子供が両親の争いに巻き込まれて、辛い目に合っている。平成27年(2015)現在、人口1000人当たりの日本の離婚件数は1.77となり、フランスの1.97に近づいている。3組に1組は離婚する割合である。そうした社会傾向のもと、離婚における破綻主義の明確化が企図されている。事実上夫婦関係が破綻している場合、理由のいかんに関わらず、5年以上の別居で離婚を認めるというものである。それに加えて、夫婦別姓が導入されれば、結婚による夫婦の制度的結合力が弱まり、現状よりさらに離婚が増え、犠牲となる子供が急増するおそれがある。

(3) 老人介護や先祖の祭祀がおろそかになる

 別姓となったら、高齢者は子供や孫が自分たちの世話をしてくれるのかどうか、大きな不安に陥るだろう。また、家の墓を守ったり、先祖の供養もおろそかになるおそれがある。
 高齢化社会への対応は、現在の日本の重要課題であり、対策の中心は在宅介護におかれている。在宅介護は、夫婦・家族が一体となった協力がなければ無理なことである。しかし、別姓論者は、結婚によって相手の親族との姻族関係の発生をさけたいという考えを持っており、別姓の家庭の多くでは、配偶者の老親介護は考慮されなくなるだろう。
各種世論調査によると、「老人介護は社会全体で考えるべき問題」と考える人がおよそ3分の2、「老人介護は家族で考えるべき問題」と考える人が3分の1となっている。かつての日本では、老親の世話は家族の役目と考えられていたが、今や3人に2人は社会の問題、つまり国家が面倒を見るべきだと考えているわけである。
 配偶者の老親介護を国家の問題とする考え方では、配偶者の祖先の祭祀は、行われなくなるだろう。生きているときに世話をせずして、どうして死後、祖先を敬う心が出るだろうか。共通の祖先を持ち、儀式を共にすることが、家族や親戚の結びつきを暖かいものにしてきたが、祖先祭祀が行われなくなるとき、人々の心のつながりは一層薄弱なものとなるだろう。
 夫婦別姓が導入された場合、事実婚が増加し、結婚制度が否定されること、親子別姓・離婚増加等によって、子供が被害者になること、老人介護や祖先の祭祀がおろそかになることが予想される。そのため、夫婦別姓の導入は、家庭を破壊し、人々の心を傷つけ、社会を混乱に導く危険性が高い。

●シナ・コリア及びキリスト教文化圏との違い

 夫婦別姓論は、中国・韓国からの外国人移民が日本で生活・行動しやすい環境に日本の社会を変える作用も持つ。シナ・コリアは夫婦別姓の文化だからである。
 だが、日本は、シナ・コリアとは社会の基礎をなす親族構造が異なる。シナは共同体家族、コリアは直系家族が支配的だが、ともに父系社会である。また、シナは宗族、コリアは本貫という独自の親族構造を持つ。その親族構造の上に夫婦別姓の制度が成り立っている。父系社会は、族外婚(イクソガミー)の有無で大きく2種に分かれるが、シナ・コリアは族外婚のある父系社会である。儒教では「同姓めとらず」という。すなわち、同姓同士の結婚を禁止する。少数の例外を除いて、同姓は結婚できない。だから夫婦別姓なのである。これに対し、日本は父系が一元的・支配的ではなく、父系が主だが母系的な要素も尊重される双系的な性格を持つ。通婚制度は、族内婚である。こうした親族構造の上に、夫婦同姓の制度が採られている。親族構造に基づく文化が異なるのである。それを無視して、日本の社会を別姓に変えようとするのは、乱暴この上ない。
 一方、欧米諸国でも夫婦別姓が認められるようになっているから、わが国もそうすべきだという意見がある。西方キリスト教文化圏は、もともと夫婦別姓である。アメリカでは、事実上夫の姓しか選べなかったし、ドイツでは夫婦は夫の姓を名乗るべしと法律で定められていた。イギリスは、夫の姓を名乗る慣習があり、今も続いている。フランスでは、現在まで民法に姓の規定はないが、事実上妻が夫の姓を名乗ることになっている。欧米でフェミニスト(女権拡張論者)たちが夫婦別姓を主張したのは、フェミニズムはキリスト教的拘束から逃れようとする反キリスト教の要素があるからである。その影響で、欧米諸国では1970年代以降、一部の国に夫婦別姓を認めるところが出てきた。だが、わが国はキリスト教国ではない。文化的・宗教的背景が違う。断片的なところだけ取り上げ、それを世界の趨勢であるかのように説き、人権という観念を使って世論を誘導するのは、非常に作為的である。
 わが国の別姓推進の急進的な団体は、欧米のフェミニズムの影響を強く受けている。また現在の日本の女権拡張運動には、左翼思想が流れ込んでいる。左翼は「革命の祖国」と仰いだソ連の共産主義体制の解体を目の当たりにして、社会主義、共産主義社会の実現の難しさを感じ、日本の家族制度と社会制度の解体を図るところに現在の活動の場を求めているのだろう。そして彼らの目標の一つが、夫婦別姓の法制化なのである。
 平成8年(1996)に法制審議会が、夫婦で同じにするか、旧姓をそれぞれ名乗るかの選択的夫婦別姓の導入を答申した。しかし、以後20年近くたっても法改正がされていないのは、国民の間に十分な合意が得られないからである。
 平成24年(2012)の内閣府調査によると、自ら夫婦別姓を希望する国民はわずか8%であり、国民の大多数は夫婦同姓制を肯定している。そのような中で、一部の要望によって、明治以来、120年近い伝統を有しわが国の社会に定着している夫婦同姓制という、わが国の姓に関する基本ルールを変更すべきでない。
 結婚後、旧姓を使用しなければ社会生活において不便な人はいる。そういう人のためには、旧姓を通称として使用できるようにすればよい。官公庁や多くの企業は、通称の使用を認めるようになっている。また戸籍法を改正し、戸籍に旧姓も併記できるようにする方法もある。このような改善を行えば、夫婦別姓を制度として導入する必要はない。

 次回に続く。

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