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2016年03月02日08:52

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イスラーム23〜米国がアフガニスタン、イラクに侵攻

●米国がアフガニスタン、イラクに侵攻

 2001年(平成13年)9月11日、ユダヤ=キリスト教系諸文明とイスラーム文明が新たな抗争に突入する重大事件が起こった。アメリカ同時多発テロ事件である。この事件については、拙稿「9・11〜欺かれた世界、日本の活路」に詳しく書いた。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12g.htm
 同時多発テロ事件が起こるや、ブッシュ子米大統領は、「新しい十字軍戦争」を唱導し、国民に支持・協力を呼びかけた。超大国の最高指導者が、「十字軍」というキリスト教諸国とイスラーム教諸国の宗教戦争を宣言するという異常な事態となった。報復に沸騰する世論を後押しにして、アメリカは、アフガニスタンに進攻した。テロはイスラーム教原理主義勢力タリバンによるものとし、アメリカはタリバン政権を倒すとして、2001年10月7日イギリス等とともに、アフガニスタンへの空爆を開始した。
 ブッシュ子政権は、この戦争は従来のような国家と国家の戦争ではなく、テロリスト集団と国家が戦うという新しい戦争だとした。この規定は、従来の戦争の概念を変えた。
 戦争目的は、アルカーイダの指導者オサマ・ビンラディンを庇護するタリバンが活動の本拠としているアフガニスタンに侵攻して、テロの首領を捕らえ、テロリストの巣窟を撃つこととされた。侵攻後、連合軍は圧倒的な優勢のうちに作戦を進め、瞬く間にアフガニスタンを占領し、12月には作戦を終了した。反米的なタリバンを追い払い、親米的なハミド・カルザイを大統領の座につけた。これによって、戦争は12月に終結したことになっている。だが、これで戦争は終わらなかった。その後も米軍が駐留し、米国及びアフガニスタン政府とタリバンとの戦いは、今も続いている。
 アフガニスタンは、西アジアのイスラーム教国である。正式な国名を「アフガニスタン・イスラーム共和国」という。人口の85%がスンナ派、14%がシーア派、それ以外の宗教が1%という構成であり、イスラーム教徒が99%を占める。
 アフガニスタンは、ユーラシアにおける地政学的な要所にある。中東にまさるほどの石油が埋蔵されているというカスピ海沿岸地方から石油を搬送する通路ともなっている。また世界最大のアヘンの生産地でもある。アメリカはここに重大な利権を持っている。アフガン侵攻には、利権の維持という理由もあった。
 9・11後、アメリカは、同時多発テロ事件を計画・実行したとして、オサマ・ビンラディンを主犯に名指した。だが、この人物についてはCIAとの関係など不可解な点がいろいろあり、アメリカの協力者説、替え玉説、死亡説などが飛び交った。
 アメリカは、アフガニスタン侵攻に続いて、2003年(平成15年)3月19日、イラクに侵攻した。サダム・フセインを除いて民主化を進めるためとした。ブッシュ子政権は、9・11の前に、イラクの石油目当てに、サダム・フセインを追放するための戦争を計画していた。イラクは、石油埋蔵量で世界第2位である。アメリカの計画を知ったフセインは、攻撃を受けないように、国連安全保障理事会常任理事国のフランス・ロシア・中国にイラクの石油を売っていた。安保理がイラク攻撃を決議しないように図ったのである。
 しかし、アメリカは、フセインはアルカーイダを支援しており、大量破壊兵器を渡すおそれがある。テロリストが核兵器を持てば、国家が相手と違って抑止力が働かず、防ぎようがない。だから、脅威が感じられる時点で先制攻撃をしなければならないーーこういう理屈で、自衛権の行使として先制攻撃を正当化した。これは、先制攻撃に関する新しい解釈だった。
 国連安保理でフランスが反対したので、アメリカは安保理決議なく、イギリスなどと共に空爆を開始した。湾岸戦争以来のイラク攻撃だった。第2次イラク戦争とも言われる。
 わが国に続いて、多くの国々が、アメリカを支持して参戦した。NATOは、結成後初めて集団的自衛権の行使として参戦した。集団的自衛権は、集団安全保障を補完するのではなく、集団安全保障体制の不在を埋めているという国際社会の実態が浮かび上がった。
 侵攻の翌月には米英連合軍が首都バクダードを占領し、フセイン政権は打倒された。これで正規軍同士の戦闘は終了し、2003年(平成15年)5月ブッシュ子大統領は「大規模戦闘終結宣言」を出した。だが、終戦宣言後もイラクの治安は回復せず、内戦状態が続いた。同年12月13日米軍はサダム・フセインを逮捕し、アメリカは囚われたフセインを世界の耳目にさらして勝利宣言を行った。
 ブッシュ子大統領は、開戦理由の第一をイラクの大量破壊兵器保有としていた。ところが、アメリカが派遣した調査団は、2004年10月、「イラクに大量破壊兵器は存在しない」という最終報告を提出した。大量破壊兵器を保有しているというのは、CIAの情報だった。それが誤っていたことが明らかになった。その結果、この戦争の正当性は、根底から揺らいだ。ブッシュ子政権は、誤情報を鵜呑みにしたのか。それとも、核兵器・生物兵器・化学兵器は存在しないことは分かっていて、戦争を始めたのか。真相は明らかではない。アメリカの議会も、国連安保理も、この点を徹底的に追及しなかった。
 イラク戦争の大義は、失われた。それにより、9・11同時多発テロ事件に関する疑問が、アメリカ国民の間に広がった。わが国においても、この事件を疑う人が増えた。イスラーム文明の諸国では、なおさらだろう。アメリカ同時多発テロ事件は、拙稿「9・11〜欺かれた世界、日本の活路」に詳しく書いたように、非常に謎の多い事件で、真相はほとんど解明されていない。
 フセインについては、イラク特別法廷及びバグダードの高等法廷で裁判が行われ、「人道に対する罪」で死刑と判決された。2006年(平成18年)12月30日絞首刑が執行された。フセイン政権崩壊後、イラクでは議会選挙、憲法制定等が行われ、2006年の選挙でマリーキーが首相に選ばれた。フセイン政権はイラクでは少数派のスンナ派の政権だった。マリーキーは多数派のシーア派で政府や軍の幹部を固めた。強権的な政権運営を行って、スンナ派や元フセイン政権関係者等の反発を買った。イラクの治安は再び悪化し、小規模な戦闘が続くことになった。やがてそこから過激派武装組織が台頭することになる。
 2008年(平成20年)に米国大統領となったオバマは、9・11の真相解明を行うことなく、共和党ブッシュ子政権の中東政策を引き継いだ。若干の政策変更は行いつつも、基本的な方針は変えることなく、進んできている。オバマ政権は、ブッシュ子政権によって9・11の主犯であるとされたオサマ・ビンラディンの追跡を継続した。ようやく2011年5月2日、オサマは、米国海軍特殊部隊が行った軍事作戦によって死亡したと報道された。だが、CIAが本物だと断定した2002年発表のオサマのテープは、スイスの専門機関が声紋分析し、「替え玉による録音」と報告した。本人は既に相当前に死亡しており、この時、死亡が発表されたのは替え玉だった可能性が指摘されている。
 オサマ・ビンラディンの死亡発表後も、アフガニスタンの政情は安定していない。タリバンは反政府武装闘争を続けている。

 次回に続く。

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