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2016年01月20日21:36

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映像の向こう側(64) 映画「ジャンヌ・ダルク」 

 1枚目 ジャンヌ・ダルク・・・野性的に描かれている。通常のジャンヌ像ではない。馬は白いのか? よく分からなかった。
 2枚目 ジャンヌの良心(というより本能、フロイトの言うイド)だと思える。後ろ姿はジャンヌ
 3枚目 ジャンヌの盟友、オルレアン公爵の庶子デュノワ伯爵。こちらも野性的だった。

 映画「ジャンヌ・ダルク」1999 (アメリカ・フランス 監督リュック・ベッソン、ジャンヌ・ダルク:ミラ・ジョボヴィッチ、ジャンヌの良心:ダスティン・ホフマン、盟友デュノワ伯(オルレアン公爵の庶子):チェッキー・カリョ)をテレビで見た。映画は長いし、しかも悲劇なので見る気もなかったのだが、ついつい見てしまった。登場人物としては、他に、宗教裁判長のコーション、戦友のジル・ド・レー(つまり青髭の悪名を持つ、持たされた?)、豪胆な戦友ラ・イールなど。

 ストーリーについては、よく知られている。この映画での特徴は、まず写実的ということになる。ジャンヌが、王になれない王太子に神のお告げを伝えるためにやってきた場面で、当時の王太子派の主要人物が揃っていたのだが、蝋燭だけの明かりでやたらに暗いのである。それと、戦闘場面はなるほど当時(1430年頃、日本は室町時代中期で応仁の乱の前)の戦闘はそうだろうと思わせた。
 意外だったのは、ジャンヌは白馬、白い甲冑、白旗だったと思っていたが、白いのは旗だけだった。

 しかし、何と言っても驚いたのは、ジャンヌがお告げを受ける場面と、裁判中や牢獄の中に表れる謎の人物だった。これが映画の「ジャンヌの良心」と名付けられている人物だと思う。ダスティン・ホフマンとなっているのだが、私には顔の区別の自信が無いのであるので確信はないのだが。
 お告げの人物は野外で椅子に座っている男性、多分、大天使ミシェル(ミカエル)なのだろうが、監督は奇跡を信じない人らしく、天使らしくなく、ジャンヌの幻覚のように描かれていた(聖カトリーヌや聖マルグリットは省略)。しかし、ここはジャンヌの主観に沿うべきでないのか? ジャンヌが信じて、裁判でそう証言したように。でなければ、ジャンヌの奇跡的な活動の根拠が弱くなってしまう。天使の命令だったからこそ、超人的な力を発揮できたのだから。

 信仰の力でなく啓蒙的に描きたいと言うのはいいとして、裁判の場や牢獄などに突然現れてジャンヌを問い詰める人物の登場は、この映画のオリジナルに違いない。ジャンヌは戦闘で人を殺したこと、本人が殺したと言うよりは、戦いを督励して敵味方を殺したことは間違いない。
 ジャンヌは、その罪の意識に責められ、裁判長コーションに懺悔させてほしいと何度もたのんでいた。裁判長が承知したので罪を認める書面に署名した。これで処刑はなくなったのだが、イギリス側が承知しなかった。牢獄でジャンヌの服をはぎ、男の服を置いたのである。これを着たジャンヌは悪魔の弟子として火刑に処せられることになった。
 ジャンヌに懺悔させたのは、牢獄に現れた謎の男で、人を殺した罪を告白したジャンヌの罪を許す。翌朝、ジャンヌは魔女として火刑に処せられた。

 この人物の創造は、ジャンヌの物語を奇跡としてではなく、ジャンヌという少女の深層意識の物語として描きたい監督の意図を体現するものに違いない。だからこそ、ダスティン・ホフマンを当てたに違いない。
 つまり、この人物はジャンヌのイド(本能)であり、女性のジャンヌにはアニムス(男性)として現れたのである。ただし、ジャンヌ自身の証言では聖カトリーヌや聖マルグリットも現れたはずだが、フロイト理論にあわせるために大天使ミシェル(ミカエル)だけにしたのであろう。
 祖国を守れ、国王を助けよ、フランスはフランス語を話す人々のものである。これはナショナリズムと言われるかもしれないが、もっと古い郷土主義であり、定住した原始クロマニオンに伝わる準本能と言ってよいのだと思う。
 というように私は解釈したのだが、「ジャンヌの良心」との役名だと、むしろジャンヌの超自我(善を勧める良心)として設定したのかも、・・・いや、それが監督の意識であろう。しかしである。良心などという後発的な意識(大脳皮質?)に超能力が期待できるはずがないのだ。ここは、原始的本能の、小脳さらには脊髄神経という生物本来の生命力の発現としてしか、ジャンヌの奇跡は納得できないのである。

 監督は、ジャンヌが最後に迷う場面を描いているのであるが、これは、イエスが十字架上で「神よ、我を見捨てたまうか」と叫んだという、伝承(聖書の一つ)に倣っているのであろう。間違いなくヴォルテール流の啓蒙主義である。

 まあ、監督との論争はそれぐらいにして、後、面白かったのは、連続殺人犯のサディスト青髭がジャンヌの戦友になっていたことである。いかにも異常性格という片鱗が表情に現れていた。後に、彼は、その罪で処刑されるのであるが、ジャンヌに味方したということで憎まれていたのかもしれないではないか。
 裁判長のコーションはイエスをいやいや処刑したとされるピラトを思わせた。
 それに、男の服を着ていた(着せられたのだが)ということで、魔女確定というのはいかがなものか。時代は、日本では室町時代中期である。日本ではもう陰陽師の時代ではないのだが。イタリアではルネサンスが始まっていた。

 それはともかく、私にはバーナード・ショウ「セント・ジョーン」とは違ったジャンヌ像で新鮮であった。



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