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2015年11月08日09:46

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人権223〜世界恐慌と自由の保守

●世界恐慌と経済的権利の保護

 第1次世界大戦末期にロシア革命が起こり、欧州と世界は共産主義の脅威に直面することになった。自由主義と統制主義の激しい対立が国際間に広がった。
 1920年代には、資本主義は、ものの生産より金融が中心となり、金融市場は賭博場と化していた。自由放任的な経済活動は、投機的な投資の大規模化を許した。そのなかで、資本主義は強欲資本主義に変貌した。そして1929年、世界恐慌が起こった。世界恐慌のドイツへの影響については先に書いたが、ここでアメリカにおける展開を述べる。
 大恐慌は、繁栄の絶頂にあったアメリカで始まった。1920年代のアメリカは、世界最大の工業国としての地位を確立し、大戦後の好景気を謳歌していた。好景気でだぶついた資金は株式市場に流入した。投機熱によって、ダウ平均株価は24年からの5年間で5倍も高騰した。29年9月3日、ダウ平均株価は過去最高価格を記録した。しかし、その一方、アメリカでは、農業不況の慢性化、鉄道や石炭産業部門の不振、合理化による雇用抑制等が生じていた。29年に入ってからは、工業製品が生産過剰に陥っていた。
 これらの要因が複合して、10月24日ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落した。株価は投資家の買い支えで、一時安定したものの29日には再び大暴落した。もはや手の打ち様がなかった。株価は、9月のピーク時の約半分にまで下がった。わずか1週間で、当時のアメリカの連邦年間予算の10倍にも相当する富が消失した。銀行や工場は次々と閉鎖に追い込まれ、かつてない恐慌に発展した。
 恐慌発生後、フーバー大統領は、従来の不況対策程度の政策しか行っていなかった。混迷を打開するため、大胆な政策を提案したフランクリン・D・ルーズベルトが、現職大統領を破って、1933年に大統領に就任した。
 就任後、ルーズベルトは、議会に働きかけて矢継ぎ早に法案を審議させた。3ヶ月ほどの間に、各種法案が可決された。ルーズベルトは、全国産業振興法(NIRA)で労働時間の短縮や最低賃金の確保、農業調整法(AAA)で生産量の調整、民間資源保存団(CCC)による大規模雇用、テネシー川流域開発公社(TVA)等の公共事業による失業対策等を、強力に進めた。これらの一連の政策を、ニューディール政策という。ニューディール政策は、政府は市場に介入せず、経済政策は最低限なものにとどめる自由主義的な経済政策から、政府が積極的に経済に関与する統制主義的な経済政策へと一部転換したものだった。
 1933年に、アメリカの失業率は25.2%という最悪の数字を記録した。だが、ニューディール政策は効果を上げ、37年には14.3%に失業率が下がった。景気も回復の兆しが現れた。しかし、35年には、政策のいくつかに対し、最高裁が違憲判決を出した。また、統制主義的な政策には、反対勢力が根強く存在した。そのため、ルーズベルト政権は、中途半端な形でしか政策を実行できなかった。38年、累積債務の増大を憂う財政均衡論の意見に押されて、政府は連邦支出を削減した。すると、GNPは6.3%減少、純投資はマイナスに転化、失業率は19.1%に跳ね上がって、危機的な状況に陥った。
 この間、ドイツでは、ヒトラーが全体主義的な政策を行って、45%にも達していた失業率を着実に下げ、39年には失業者数を20分の1にまで減らした。アメリカの政治は議会制デモクラシーであり、ルーズベルトは、全権力を掌中にしたヒトラーのようには、大胆な公共投資を行えなかった。
 結局、アメリカが失業問題を解決できたのは、第2次世界大戦が始まってからである。軍需の増加によって初めて完全雇用を実現できたのである。そのうえ、アメリカの工業生産は、戦争中かつてない規模に拡大した。私は、ニューデュール政策は壁にぶつかっていた、だからルーズベルトは大戦に参戦するチャンスを得ようとしていたのだと思う。
 ここで重要なのは、いかに政府が国民の自由と権利を保障しようとしても、経済が安定しなければ、保障をし得ないことである。

●ケインズによる資本主義の変革

 世界恐慌後、欧米各国は失業者であふれた。新古典派経済学の理論は、非自発的な失業を想定しておらず、この事態にまったく対応できなかった。ここで失業の問題に取り組み、新たな経済理論を創出したのがケインズである。
 ケインズは、実際の貨幣の支出に裏付けられた需要を「有効需要」と呼び、社会全体の有効需要の大きさが産出量や雇用量を決定するという「有効需要の原理」を説いた。ケインズはこの原理に基づいて、政府による「総需要管理政策」の理念を打ち出し、経済学に変革をもたらした。経済政策にも大きな変化を与えた。
 ケインズの理論は、経済活動の自由に一定の規制を行い、それによって、自由主義を崩壊から守ろうとする理論である。失業は、国民の労働する権利、生活する権利を実現できない状態である。政府が有効需要を創出して雇用を生み出すことは、労働する権利、生活する権利を国家的に実現しようとするものである。ケインズは、自由放任的な資本主義の欠陥を修正することによって、資本主義の崩壊とそれによる共産主義革命の勃発を防ぐ方法を示した。
 ケインズの理論と政策はイギリスの国策に取り入れられ、またアメリカのニューディール政策に理論的根拠を与えた。経済的自由に一定の規制がかけられた。特に金融に関する規制が行われたことで、投機的な活動が抑制された。英米はケインズ主義によって経済的危機を脱した。共産革命の欧米への波及を防ぎ、またナチス・ドイツとの戦争に勝利することができた。いわば左右の全体主義から自由を守ることに、ケインズは重大な貢献をしたのである。もし人々が個人の自由を優先し、政府による規制を拒否していたら、全体主義から自由を守ることはできなかっただろう。またもし政府が自由放任的な自由の維持に固執していたら、逆に全体主義の支配下に陥り、自由を失っていただろう。自由の無制限の追求は、自由の喪失に結果したかもしれないということである。

 次回に続く。
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