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2015年07月02日08:48

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人権168〜ホッブスの社会契約論

●自由・平等な個人の契約で絶対主義国家が設立

 ピューリタン革命の最中、王党派のホッブスは、国外に逃れたパリで、1651年に「リヴァイアサン」を書いた。本書は近代西欧発の人権論であり、特異な主権論であり、国家論の書である。
 ホッブスは、「リヴァイアサン」で、大意次のように述べる。―――人間はかつて政府や国家がなく、従って法も秩序もない自然状態にあった。人間は自然状態において、生まれながらに自然法によって認められる永久かつ絶対的な権利を持つ。自然状態では、人間は、心身両面において平等であり、自分の生命を守るためには、殺人を含むいかなる手段を用いてもよい。その権利を自然権という。内容は、自己保存の権利である。しかし、人間が自然状態のままにあれば、本来自己保存のために自然権が与えられているのに、自然権を持っているがために、かえってそれを行使することで、「万人の万人に対する闘争」という戦争状態が生じた。「人間が人間に対する狼」となった。これでは、各人の生命そのものが危険にさらされてしまう。そこで人間は、「自己保存のために平和を求めよ」という、人間に内在する理性の声、つまり自然法に従って、自分たちの持つ自然権を放棄し、相互に契約を結び、各人の代表者である主権者を選んで国家(コモンウェルス)を設立した。そして以前は、各自が自然権によって自己保存を図っていた代わりに、主権者が定める法に従って、平和と生命を維持することになった、とホッブスは説いた。
 ホッブスは、人間が自然状態から脱し、国家を設立した際に、自発的な同意による契約を行ったとする。この説を社会契約論という。国家としてのコモンウェルスはcommonwealthであり、「共通善」であり、ホッブスは、設立された国家をリヴァイアサンと名付ける。リヴァイアサンは、旧約聖書に現れる海の怪物である。ここにおける国家は、国家共同体と政府の両義を持つ。怪物としての国家において、政府は頭に当たるだろう。ホッブスは、絶対的な主権者は、一人でも少数者の集団でもよいとする。一人であれば絶対君主であり、複数であれば独裁的な支配集団となる。
 人間は生まれながらに平等の権利を持つという発想は、封建的身分制の特権と異なる新しい考え方だった。またホッブスは、国家の設立は自由で平等な人々の同意によって行われると主張した。ホッブスは、人権とともに、近代西欧で自由の思想を最初に公表した思想家でもある。ホッブスは、人間を幾何学的な空間を運動する原子のような存在とらえ、自由を「運動の外的障害の欠如」と定義した。自らの意思に従ってなすところを妨げられない状態をいう。障害・拘束からの自由である。そして、あらゆることに先んじて個人の自由が存在すると発想した。
 ホッブスは、自然権とは「各人が、彼自身の自然すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の意志するとおりに、彼自身の力を使用することについて各人が持っている自由」だとした。またそれは「彼の判断と理性において、そのために最も適当な手段だと思われるあらゆることを行う自由」だとした。ここで自由とは、自由に物事を行う権利である。自由権である。ホッブスは、殺人を含む自由権の行使のために戦争状態が生じ、それを逃れるために人々は主権者に権利を譲渡すると考えた。この論理は、近代主権国家の成立の過程で、国王に権力が集中し、国王が領域における実力を独占するようになった過程を、歴史を無視し、思弁的に考察したものと言えよう。
 ホッブスの説は絶対王政を擁護するものである。自滅に向かう戦争状態より、絶対的主権者の統治による平和を求める思想である。絶対的な権力で生命の安全は得られるかもしれないが、権利を主権者に譲渡するのだから、自由の獲得にはならない。生命は守られるが、自由は失う。そして、自己保存のために他人を殺す自由権を失うとともに、人間が生まれながらに平等に持つ自由と権利を失うのである。
 ホッブスの自然状態は戦争状態である。ホッブスによると、自然状態では正義も不正義も存在しない。正義は法が定められ、共通の権力が発生した後に発生する。社会契約は、公共善の概念に代わって、国家を設立し、正義を実現するためのものである。人間が理性を働かせて戦争状態を終わらせるために定めた自然法の一つが正義の法であり、正義の法は契約を守ることを求めるものである。契約に反することは不正義であり、契約を守らせるように強制する権力は正義の権力である。絶対王政を擁護するホッブスの理論においては、主権者に対するあらゆる反逆は不正義とされる。
 ホッブスは、主権国家における支配と服従を正当化するために、人権と自由を持ち出した。ホッブスの人権と自由の理論が帰結するのは、主権者への絶対服従である。契約を結んだ人々が契約に違反するのは、平和な社会を再び戦争状態に戻す自然法に反する行為だから、主権者の法には絶対服従せよ、と説く。一方、主権者には、軍事権・立法権を基礎とする絶対的権力を与え、処罰という恐怖によって、人々に契約を守らせよ、と主張する。ホッブスの自然権は国家形成以前の権利であり、社会契約によって国家形成後の権利に転じる。また個人は権利を譲渡して国家権力に委ねよ、という主張は、絶対王政の国家における権利と権力の関係の理論化を試みたものといえる。
 実に奇怪な理論である。キリスト教徒同士が殺し合ったドイツ30年戦争や、信教の自由をめぐり人民が国王を斬首したピューリタン革命という悲惨な状況に西欧があった時代に、ホッブスはこうした奇怪な理論を説いた。この理論は、戦争と内戦という修羅場のような状況から生まれたものだったのである。

 次回に続く。
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