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2015年05月16日09:28

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人権150〜ナショナリズムとエスニシズム

●ナショナリズムとエスニシズムの相互作用

 ナショナリズムは、政治的には国家主義・国民主義であるが、文化的には一個のエスニック・グループの言語・文化等への同化を国民に求めるものと、多言語・多民族・多文化・多宗教を許容するものもある。前者は単一文化的ナショナリズム(mono-cultural nationalism)、多文化的ナショナリズム(multicultural nationalism)と呼ぶ。後者は、多民族的ナショナリズム(multiethnic nationalism)ともいう。
 多文化的ナショナリズムは、単一国家でも連邦国家でも取りうる態度である。統治する側のナショナリズムと統治される側のエスニシズムは、対立・衝突・和解・融合等の相互作用を生む。エスニシズムは、ある集団がエスニック(民族的)な特徴を積極的に維持・発揚しようとする運動や傾向であり、その意味での民族主義である。ここでは、その具体的な事象について述べる。
 近代西欧では、各地でネイションが形成された際、それぞれの集団で主要なエスニック・グループが政治権力を獲得または権力に参加した。多くの国では、それ以外に様々なエスニック・グループが存在してきた。少数民族としては、イギリスにおけるケルト人、フランスとスペインにおけるバスク人、スペインにおけるカタルニャ人、北部インドを原郷とするロマ人等が知られる。少数派のエスニック・グループを国民の一部とする国家では、主要な言語・文化・宗教等への同化を進めた場合と、少数派の文化を許容した場合がある。
 一つのエスニック・グループが必ずしもネイション(国家・国民)の形成に成功するとは限らない。所属国からの分離・独立は、多くの場合、激しい闘争を引き起こす。所属国における政権の奪取を目指すものであれば、闘争の激烈さは言うまでもない。ネイションの形成に成功した場合でも、一つのエスニック・グループが、その一部は一つのネイションとなり、別の一部は他のネイションに残り、少数派のエスニック・グループとなる場合もある。例えば、ドイツ民族がそれである。
 エスニック・グループには、複数の国家にまたがって存在するが、政治的な統治権力を持たない集団も存在してきた。例えば、イスラエル建国以前のユダヤ民族がそれである。ユダヤ人については、別の項目にも書いたが、西欧のみならずロシア、東欧からイベリア半島等にまで分布するディアスポラ(離散民)であり、ユダヤ教を信仰することによってキリスト教文化の中で迫害を受けてきた。その中で一部のユダヤ人は、西欧諸国で経済的文化的に活躍し、オランダ、イギリス、フランス等では王家と結びつき、財政や金融になくてはならない存在となった。イギリス、ドイツ等では、18世紀の啓蒙主義の時代に、ユダヤ人の知識人を中心にキリスト教社会への同化がかなり進んだが、ユダヤ教徒エスニック・グループの独自性を保とうとする動きも根強かった。
 フランス革命によって、ヨーロッパで初めてユダヤ人の解放が行われた。ユダヤ人の自由と権利を確保するための動きが、人権思想の発達に重大な影響を与えた。しかし、19世紀末にそのフランスでドレフュス事件が起こり、反ユダヤ主義が高揚した。これに対し、ユダヤ人の側に、シオニズムが起こった。シオニズムは、ユダヤ人というエスニック・グループが自前の国家を持とする思想・運動だった。ユダヤ人によるナショナリズムである。本章の範囲を超えて20世紀に話が及ぶが、イギリスがバルフォア宣言を出したことによって、ユダヤ人による国家建設が国際的に認められた。第2次世界大戦後、ユダヤ人はイスラエルを建設したが、その際、多数のパレスチナ人を排除したため、ユダヤ人のナショナリズムとパレスチナ人のナショナリズムが対立・抗争することになった。

 次回に続く。
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