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2015年02月06日09:51

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一連のテロ事件に学び、移民問題で欧州の失敗を繰り返すな

 1月20日日本人人質事件が起こり、2名の人質が殺害された。この事件によって、わが国の国民はイスラム過激派によるテロを現実の脅威と感じるようになった。その事件の2週間ほど前、1月7日パリでイスラム過激派による風刺週刊紙襲撃事件が起こった。これをきっかけに、わが国では、外国人移民政策の見直しを求める意見が有識者から出された。
 たとえば、元外交官で中東事情に詳しい宮家邦彦氏は、次のように書いた。

 「最も気になることがある。こうした欧州諸国の現状は日本の将来を暗示しているのではないのか、という漠然とした不安だ。長い伝統の中で健全な市民社会が生まれたこと。経済の成熟により出生率が低下し、人口が減少したこと。それを補うため移民導入を断行し、短期的には一定の成果を挙げたこと等々、日本と欧州には共通点が少なくない。しかし、例えば英仏は旧植民地から多くのイスラム教徒移民を受け入れ、現在国内のムスリム人口は全体の5〜8%に達するという。イギリスが移民の宗教・文化を尊重するのに対し、フランスは世俗主義の尊重を移民に求めるなどスタイルの違いはあるが、結局は両国とも新移民の同化に失敗し、イスラム過激主義という爆弾を抱えてしまったのだ。
 それでは日本はどうか。人口の減少は現実の大問題であり、減少率はフランスをはるかに上回る。労働力不足を埋めるため日本は大規模な移民受け入れに踏み切るのか。踏み切った場合、欧州諸国が直面した問題を克服できるのか。欧州とは違いイスラム教徒の移民は少ないだろうが、新移民の同化が困難な点は日本も同じだ。欧州に学ぶのか、学ばないのか。日本はいま決断を迫られている」と。
http://www.sankei.com/column/news/150115/clm1501150008-n1.html

 最後の「欧州に学ぶのか、学ばないのか」という問いは、何を学ぶことを言っているのか、はっきりしない。また宮家氏自身は、わが国は、欧州のイスラム教徒移民の受け入れの失敗に学び、大規模な移民受け入れをすべきでないという意見なのかどうかも明言していない。そのような問題点はあるが、移民の受け入れに対して問題を提起していることには意義がある。

 私は、平成22年(2010)年5月から24年(2012)年1月にかけて、「トッドの移民論と日本の移民問題」を連載した際、フランスを含む西欧におけるイスラム系を主とする移民の問題について私見を述べた。例えば、次のように書いた。
 「移民の隔離や排除でムスリムが原理主義化し、イスラム原理主義がヨーロッパ内部で活発化・増大化すれば、文明の『衝突』が各地で起こる。ハンチントンのいう地理的な文明の断層線(フォルトライン)ではなく、各地の都市の街頭や学校や住区で、「衝突」が起こる。集団と集団の接するところ、交わるところで起こる。こうして、ヨーロッパは混迷に陥るという将来像が浮かんでくる」
 「トッドの将来予想は、文明の『接近』である。イスラム文明の諸国は近代化し、識字率の向上、出生率の低下で、やがて人口は安定し、政治的・宗教的な過激行動は鎮静化する。イスラム諸国は民主化が進み、脱イスラム化するという予想である。
 しかし、現状は、ヨーロッパという地域において、イスラム移民の流入により、ユダヤ=キリスト教的西洋文明とイスラム文明の対立・摩擦が強まっている。一部は文明の『接近』が進み、一部では文明の『衝突』が起こっている。文明と文明が地理的空間的に衝突しているのではない。一つの広域共同体の中で、先住の集団と外来の集団が混在し、その間で衝突が起こっている。ハンチントンは、文明のフォルトライン(断層線)で文明の衝突が起こる、また文明の内部でも衝突が起こると述べた。現在のヨーロッパでは、主たるフォルトラインは、ある文明に属する諸国と、別の諸国との国境地帯にあるのではなく、都市の街区や学校の教室の中に立ち現れている。国境のフォルトラインで戦争が起こるのではなく、都市のフォルトラインで、爆弾テロが起こる。地理的空間的に展開する軍隊同士の争いではなく、地下鉄や劇場でゲリラが攻撃を仕掛ける。これはハンチントンの予想を大きく超えた事態である。トッドもまたヨーロッパで、フランスで、パリで、メトロで、こういう争いが起こることを、よく予想できていない。
 今後、イスラム移民の多くがヨーロッパで脱イスラム化し、ヨーロッパ文明に同化するのか、それとも同化を拒否するイスラム移民がますます対立的闘争的になって、ヨーロッパの諸都市で文明の『衝突』が深刻化するのか。ヨーロッパは『月と星の民』を多く受け入れたことで、夜の闇を深くしているように、私には見える。トッドの『率直で開かれた同化主義』も、移民の数が増大すれば、ある段階から機能し得なくなるだろう」。
 「イギリス、フランス、オランダ、ドイツを通じて浮かび上がったのは、移民の人口比が高くなると、その社会の家族型による価値観が差異主義であれ普遍主義であれ、また地方参政権を与えようが与えまいが、そして二重国籍を許可しようがしまいが、社会的な危機が増大するということである。そこにこそ問題の核心がある。だが、トッドはこの最重要点を指摘していない。
 わが国には、少子高齢化、それによる人口減少への対応のために、移民を1000万人受け入れるべきだという主張がある。それをやったら悲惨な結果になることは、ドイツの例を見れば、明らかである。まして、地方参政権を与えれば、オランダの悲劇以上のことが起こるだろう。移民の多くが共産中国から流入し、移民の行動を中国共産党が指示するだろうからである。
 国家とは何か、国民とはどうあるべきものか、わが国はどういう外国人なら受け入れ、また国籍を与えるべきなのか。こうした問題を掘り下げて考えることなく、生産年齢人口、特に労働力人口の減少を、外国人労働者で埋め合わせようという発想は、安易かつ危険である」。

 わが国の場合、アジア・中東諸国のイスラム教徒よりも共産中国からの大量移民が最も懸念される。その点についても下記の拙稿に書いた。同憂の方々には、ご参考に願いたい。

関連掲示
・拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09i.htm

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