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2015年01月17日09:24

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人権131〜奴隷制の廃止

●イギリスの奴隷制廃止、アメリカの奴隷解放

 国民国家の形成・発展の各国別の展開を書いている途中だが、ここで、近代西洋における奴隷制の変化について述べておきたい。人権論の観点から見ると、国民国家の形成・発展の過程において、イギリスで奴隷貿易・奴隷制が廃止され、アメリカ合衆国に影響を与えて奴隷解放がされたことが、極めて重要な出来事である。
 奴隷貿易は最盛期には、イギリスだけで毎年30万人以上の黒人奴隷が大西洋を越えて運ばれた。19世紀初頭までの間に、推計1,000万人から2,800万人の黒人奴隷が大西洋を渡ったとされる。人類の歴史上最大の権利侵害である。しかし、イギリス人の中には、奴隷制の非人道性に気づいた者が現れ、1787年に奴隷貿易・奴隷制に反対する運動が始まった。フランス市民革命より早いことに注目したい。
 まず奴隷貿易廃止のための議会請願運動が行われた。奴隷労働によって生産された砂糖をボイコットする運動も行われた。これを受け、議会では活発な議論が繰り広げられた。その結果、1807年に欧米諸国としては初めて、イギリスで奴隷貿易が廃止された。続いて、1820年代には、奴隷制廃止のための活動が開始された。この時も議会請願運動が起こり、150万人以上の人々の署名が集まった。こうした大衆運動を背景として、1833年には奴隷制そのものが、やはり欧米諸国で初めてイギリスで廃止された。奴隷制の廃止は、奴隷制の非人道性に目覚めたイギリス人が、解放奴隷たちと連携して行った世界初の人権運動の成果である、と理解されている。
 この時点では、イギリスが綿花の供給を確保するアメリカ合衆国においては、奴隷制が継続していた。イギリスで奴隷貿易・奴隷制が廃止されても、綿花と線製品の生産関係は変わっていない。合衆国における奴隷制の廃止は、南北戦争後まで待たねばならなかった。
 アメリカ合衆国は、イギリスから独立後、1803年にフランスからルイジアナを購入した。これを皮切りに、アメリカ=メキシコ戦争でカリフォリニアを獲得するなどして、領土を拡大していった。
 北米は、植民地時代から、地域によって産業構造に違いがあった。独立後、北部諸州では商工業が発達した。南部諸州は、綿花やタバコを栽培するプランテーションを営み、黒人奴隷を労働力に用いていた。北部はイギリスの工業に対抗するため、保護関税政策を求め、自由労働を重んじて奴隷制度に反対した。一方、南部は、イギリスの綿工業の発達により綿花の輸出が激増し、自由貿易政策を主張していた。
 このように内部に大きな利害の相違をはらみつつ、連邦国家アメリカは、西部の開拓を続けた。1846年から、太平洋岸側の広大な地域を次々に併合・割譲・買収し、1853年には大陸領土が確定した。先住民を駆逐し、領土を拡張することは、「明白な運命」(マニフェスト・デスティニイ)として正当化された。その運命とは、ユダヤ=キリスト教的な神から与えられた使命と思念された。インディアンに対する姿勢は、15世紀末から中南米のインディオを虐待・殺戮した白人種の姿勢に通じている。
 領土が広がるにつれ、地域間に存在する利害の対立は、激しさを増した。最大の係争点は、奴隷制だった。旧本国イギリスでは、先に書いたように、33年には奴隷制が廃止されている。その影響が合衆国にも及んだ。
 西部開拓が進み、新たな州が誕生すると、新しく出来た州に奴隷制の拡大を認めるか否かで南北の対立が深まった。1860年に奴隷制に反対する共和党のリンカーンが大統領に就任した。これを機に、翌61年南部11州が合衆国からの脱退を宣言し、アメリカ連合国を結成して、北部諸州に対して武力抗争を開始した。北部諸州は分離独立を認めず、ここに南北戦争が始まった。
 この戦争は今日、内戦(シヴィル・ウォー)とされているが、南部諸州は独立国家を結成したのだから、国際紛争と見るべきである。北部側は、かつてイギリスから独立していながら、自国からの独立は認めないというわけである。
 最初は南部が優勢だった。しかし、リンカーンは62年に、国有地に5年間居住・開墾すれば無償で与えるという自営農地法(ホームステッド法)を発布し、これによって、西部農民の支持を獲得した。さらに、63年に奴隷解放宣言を発し、内外世論を味方につけた。ゲティスバーグの戦いで北部が優勢になり、65年北部が南部に勝利した。戦死者・戦病死者は合計62万人に達し、南部は戦災により多大な被害を受けた。
 1865年、合衆国憲法に修正第13条が加筆され、奴隷解放が実現した。アメリカ合衆国における黒人奴隷の解放は、やがて起こるアジア・アフリカでの被抑圧民族の独立への先駆けとなる出来事だった。また「発達する人間的な権利」としての人権の歴史において極めて重要な出来事である。
 奴隷制を巡る南北戦争を経験したアメリカ合衆国は、内部にはらむ価値観、利害の違いを越えて、ネイション・ステイトとして国民を統合する原理を、一層強く打ち出す必要を生じた。その原理が、自由、デモクラシー、人権である。しかし、黒人奴隷は法律上解放されたものの、実質的な差別が存続し、社会的地位の向上は1960年代の公民権運動の高揚まで待たねばならなかった。

 次回に続く。

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