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2014年12月27日08:56

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人権128〜ラテン・アメリカの独立

●周辺部におけるラテン・アメリカの独立

 西欧諸国は15世紀末以降、ラテン・アメリカ、アジア、アフリカを植民地とし、白色人種が有色人種を征服・支配していった。近代世界システムの中核―半周辺―周辺の構造において、中核部の繁栄は、周辺部からの収奪の上に実現した。中核部を上層、半周辺を中層、周辺を下層と垂直的にとらえると、上層の白色人種が自由と権利を獲得・拡大していくのと並行して、下層の有色人種は白色人種によって権利を侵害され、剥奪されていった。各地で有色人種は多数虐殺されたり、奴隷として強制労働をさせられたり、固有の文化を奪われたりした。
 こうした支配・収奪の構造において、上層=中核部で発生したのが、人権の観念である。近代西欧に現れた人権の観念と、各地域の固有法における権利との違いは、前者は人間が生まれながらに平等に持つ権利という思想を初めて打ち出した点にある。ただし、近代西欧の人権は、もともと非西洋人・非白人・植民地人民を対象としていなかった。生まれながらに平等に持つ権利とは、近代西欧の白人を前提とするものだった。古代ギリシャのポリスに比すならば、貴族や市民に当たるのが西欧社会の人間、奴隷に当たるのが非西欧社会の人間だった。
 ラテン・アメリカは、スペイン・ポルトガルによって植民地にされた。銀山や農産物のプランテーションから富が収奪された。アメリカ独立革命やフランス市民革命が起こると、本国からの独立の気運が高まった。1810年代から20年代にかけて、18もの独立国家が誕生した。ポルトガルからブラジル、スペインからアルゼンチン、チリ、メキシコ等が独立した。これらは、近代世界システム中核部での国民国家の形成に対抗して、周辺部に建設された国家である。中核部の国家とは出生が異なり、周辺部=下層に位置する国家としての特徴を持っている。
 北米では、対英独立戦争によって13の植民地が結びついて、独立国家が建設された。独立国家の建設を推進したのは、自由を求めるリベラリズムだった。それが、独立を求めるナショナリズムに発展した。
 本国と植民地の間で、言語はスペイン語またはポルトガル語が共通する。北米では、宗派の多様性があったが、中南米では、ほぼ全面的に本国と同じカトリックである。ヨーロッパにおけるネイションの形成は、言語・宗教が重要な要素となったが、ラテン・アメリカはこの点が違う。
独立運動は言語や宗教とは関係なく、政治的な動機で行われた。
 ラテン・アメリカは広く言語・文化が共通だったにもかかわらず、単一の国家ではなく、多数の国家が誕生した。その理由は、植民地時代の行政区画を基盤としたからである。広域に及ぶ言語・宗教共通のエスニック・グループの中で、多数の独立国家が行政区画に分かれて誕生したのである。政治学者ベネディクト・アンダーソンは、著書『想像の共同体』で、ナショナリズムはヨーロッパではなく新大陸で18世紀末から19世紀初めに誕生したという説を唱えている。
 植民地で生まれ育った白人種の子孫である現地生まれの官僚が中心となって独立を目指した。イベリア半島出身の官僚は、本国の王都マドリードや複数の植民地を転勤したが、現地生まれのスペイン系を意味するクリオーリョの官僚は、メキシコならメキシコ、チリならチリの区画内を転勤した。本国に栄転することはなかった。アンダーソンはで、こうした職歴を「巡礼の旅」と呼んだ。アンダーソンは「巡礼の旅」を共にする人たちの間で「われわれ」意識が生まれ、それがそれぞれのネイションの基礎となったという。
 独立は、一つのネイションの中の支配者集団が本国と植民地に分かれたものである。いわば現地生まれ官僚による植民地の分離・領有である。本国との関係を絶って、新たな支配者集団となった現地生まれ官僚は、植民地を国王のものではなく、自分たちのものにした。国王から植民地を簒奪した。
 新たな国家権力のもとで国民の形成がされた。かつての行政区画を踏まえてできた独立国家は、個々にエスニック・グループがネイションに発展したものではない。形式的に国民となった人々は、集団としての一体感を持っておらず、国家の中に様々なエスニック・グループが併存・対立していた。白人種による支配的なエスニック・グループのほかに、先住民族のインディオとアフリカから強制連行された黒人奴隷等がいた。支配者集団のエスニックな文化が、国民の実質化に用いられた。
 現地生まれの白人種に対し、世代を重ねるにつれ、混血(メスティーソ)が増加していった。今日クレオールと言えば、混成語・混成文化・混血の人等を意味するようになっている。だが、ラテン・アメリカにおける国家形成・国家発展のナショナリズムは、個々の国家ごとの現象であり、一つのスペイン語圏というようなエスニックな広がりを持っていない。その点では、エスニックではなく、シビックなナショナリズムである。
 一個の集団が集団としての権利を確保し、拡大し得てこそ、その集団における個人の権利が発達する。それが、いわゆる人権の発達である。ただし、その集団内の小集団すなわち階層・性別・地域等によって、権利の保有の度合いは異なる。ラテン・アメリカの場合、西欧宗主国から独立し、主権国家は建設されたものの、植民地時代の大土地所有制が存続し、リベラル・デモクラシーは、大きく発達しなかった。ラテン・アメリカのナショナリズムは、リベラル・デモクラシーと結びついた形へと発達しなかった。そのため、人権の思想も発達しなかったのである。

 次回に続く。
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