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2014年10月28日09:56

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2020年東京オリンピックに向けて、日本の心を取り戻そう1

 10月25日東京・渋谷で「日本のココロを学ぼうセミナー」が行われた。主催は「Nipponのココロ」という大学生を中心とした団体。東京オリンピック2020を成功させるには、どうしたらよいかというテーマで、講演を依頼された。演題は「2020年東京オリンピックに向けて、日本の心を取り戻そう」。当日はプレゼンを使ったが、話の大要をここに掲載する。

●自己紹介

 私は、昭和29年(1954)生まれ、60歳。高校の時が70年安保の前後。大学紛争・高校紛争の世代で、共産主義の影響受けた。その克服に苦労した。
 学生時代に縁あって大塚寛一先生を知った。大塚先生は、戦前昭和10年代、三国同盟に反対、米英と開戦すれば大敗を喫する、新型爆弾を投下され、大都市は焦土と化すと予言。時の指導層に建白書を送付。指導層はこれを入れずに開戦し、大敗。大塚先生は当時から真の日本精神を説き、戦後も一貫して啓発活動をされた。私はそのことに感銘を受け、今日まで活動してきた。
 個人としても、日本の復興のため、日本精神の復興を呼びかける言論活動を行っている。私は、学者や専門の研究者ではない。一人の日本人、一国民として思うところを書いている。ブログを書く人はブロガーというが、私はウェブ・ライターを自称している。ブログが世に現れる前からネットに書いており、サイトは今年で開設15年となった。個人として書くものは、ネット上に無料で公開し、自由に読み、活用してもらうことをポリシーとしている。
 最近は、第2次世界大戦後の世界の歴史と現在の国際関係、及び21世紀に実行すべき人類の課題を書いた。また人権に関する考察をブログに連載中。人権というと個人を中心に考える傾向があるが、人権の歴史を振り返ると、集団の権利あっての個人の権利であることがわかる。私は家族・民族・国家を大切に考える立場から、人権を考察している。今日掲げたのが、119回目。全体の3分の1ほど掲載したところ。あと3〜4年で完成する予定。

●本題

 2020年、平成32年、2度目の東京オリンピックの開催が決定された。56年ぶりとなる。
 25年9月7日の国際オリンピック委員会(IOC)総会で開催地の最終選考がされた際、わが国は総力を挙げて働きかけをした。高円宮久子様、安倍首相、猪瀬都知事、スポーツ関係者等のチームワークで、日本の良さを訴えた。東京決定は国を挙げての熱意、治安の良さ、おもてなしの心等が世界から評価されたものと思う。
 現在わが国は東日本大震災からの復興、デフレからの脱却を課題とする。そうした日本にとって、大きな目標ができた。日本でのオリンピックは、特に若い世代、子供たちに大きな夢と希望を与えるものとなっている。またオリンピック開催は、経済効果が3兆円とも4兆円以上とも試算される。デフレを脱却し、力強く経済成長をする絶好の機会である。
 ここで、日本人の団結で、6年後のオリンピック、パラリンピックを成功させよう。これを節目に、日本が大きく発展していけるように頑張ろう。

 さて、1964年(昭和39年)東京オリンピックを振り返ってみよう。当時の日本は敗戦からわずか19年。焼け野原から立ち上がって、奇跡の復興を成し遂げた日本にとって、オリンピックは、世界のひのき舞台へ復帰する一大行事になった。
 当時細川は10歳。小学4年生。北海道の田舎の小学校に通っていた。学校の授業で、テレビ放送を見た。日本人の活躍に、感動した。男子重量挙げの三宅義信選手が金メダルを取り、男子体操、柔道、女子バレーボール(東洋の魔女)等が続いた。日本はいい国、素晴らしい国と思うようになったはじめだったと記憶する。
 当時日本人はオリンピックを成功させようと懸命に努力した。そうしたエピソードを二つお話しする。
 国立競技場のバックスタンド最上段に、聖火台がある。最近東日本大震災の被災地・石巻に貸し出された。この聖火台は川口市の鋳物師・鈴木萬之助さんと文吾さん親子による作品。納期3カ月という非常に厳しい条件の下だったが、「鋳物の街、川口に恥じない物を作る」という意気込みで取り組んだ萬之助さんを悲劇が襲う。製作工程2ヶ月にはいったところで鋳型の爆発があり振り出しに戻ったのだ。そのショックにより萬之助さんは帰らぬ人になった。納期まで残り1ヶ月というわずかな期間にもかかわらず、息子の文吾さんは「作らなければ川口の恥、日本の恥」という思いで連日徹夜の作業の末、納期直前に聖火台を完成させた。
 開会式では航空自衛隊のアクロバット飛行チーム、ブルーインパルスが妙技を見せた。計画では、聖火台に聖火が点火され、選手宣誓の後、約1万羽の鳩が大空に放たれ、鳩がぐるっと回って上に向かい、観客が上空に目を向けた時に、五輪の輪が描かれるようにする計画。ところが、練習では一度もうまくいかなかった。失敗したら、日本の権威は地に落ちる。そうした中で、10月10日国立競技場で開会式が行われた。意を決して、ブルーインパルスの飛行チームは埼玉県の入間基地を出発。江の島方向から東京へ向かった。当日は予定より、式典が遅れた。昭和天皇の御臨席のもと、各国代表が列席した。聖火の点火、選手宣誓、鳩が放たれ、観客が空に目を向けた時、見事に快晴の空に、五色の輪が描かれた。奇跡的な成功だった。
 この時、当時世界最速の東海道新幹線が建設され、東京を近代都市にする首都高速道路が開通された。何としても成し遂げようとする日本人の精神が、オリンピックを成功させた。ちょうど50年前の10月のことである。

 日本はその後の半世紀で大きく変わった。オリンピックをきっかけに1960年代に高度経済成長を成し遂げ、世界有数の経済大国となった。だが、1990年前後にバブルの崩壊起こり、長い経済不況に陥った。その上、1998年に戦後先進国で唯一デフレに陥り、今もなお脱却できていない。そこに3年前の2011年、東日本大震災が起こった。震災からの復興に懸命に努力しているところで、東京での二度目のオリンピックが決まった。
 今度のオリンピックも、先人、先輩の努力を振り返り、立派にオリンピックを成功させよう。それを跳躍台として、日本の再建・躍進を進める好機である。またオリンピック、パラリンピックの時は、世界中からアスリート、観戦客が東京に来る。おもてなしの心を発揮して外国人をもてなし、日本の良さ、素晴らしさを世界に広めるチャンスでもある。

 次回に続く。

関連掲示
・より詳しい自己紹介
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/profile.htm
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/profile-s.htm
・拙稿「現代の眺望と人類の課題」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09f.htm
・拙稿「人権――その起源と目標」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03i.htm

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