新人の時に、いろいろ教えてくれた。
僕の話は長くなるんだよ。まず、土俵を設定してからファクトとロジックを組み立てていくからね。そのうち、だんだん気分が昂揚してゆくらしいんだ。
だからといって、いくら上司だからといって、「演説はやめろ。会話をしてんだ」などと人の話の腰を折るかね。波長の合わない部長だったな。
仕事の面では有能な部長だったが、部下の評価できない人もいた。私をとった人だったけど、それまではできない人ばかり押し付けられていたよ。不思議なものだな。
・・・私など、聞いていればよいので楽な時もあった。だけど、それで私が納得したとか理解したとか言われるのは迷惑だった。黙っているのは賛成していると思うらしい。面白い話もあったが、何と言ってよいのか分からないのもあったから。
若い頃は学生運動もやった。大西巨人(とりと)は面白かったな。
・・・「きょじん」と読むのでなかったのか? それとも「とりと」とは仲間内のあだなだったのか。確かめなかったし、小説や評論を読んでいるとも言わなかった。どうしても、あの雰囲気にはいる気分にはなれなかったからだったに違いない。
・・・今、ウィキで調べたら本名は「のりと」と読むとのことだった。「とりと」は聞き違いだったのかもしれない。早口だったし。
これから付き合わねばならない人とは、しっかり見て、攻め方を考えておきなさい。
・・・確かに、自分に酔っ払って、相手に嫌われたとはっきりするまでは、都合良く解釈する人だったが、反面、「政治的な人」でもあった。礼儀を尽くし、お愛想を欠かさず、味方に取り込むための努力は惜しまなかった。一方で、しっぺ返しもしていて、「ずうずうしく圧迫してきた」とか、「あんな人とは思わなかった」などと、予想外の評価も聞いた。人と付き合うときは計算していて、ただ情緒に流れる人ではなかったようだ。
・・・しかし、私には「高揚感のつくる星雲」にみえた。うまくいったときは美しいと言ってもよいほどだった。うまくいかないときは、ただの道化になってしまったが。失敗作はいくらあってもよい・・・本人は失敗があった、などとは思っていなかったろうが。
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