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2014年05月01日10:30

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人権94〜政治道徳の比較

●文明間の政治道徳の比較

 先にボダンの主権論について書いたが、ここで西洋文明とシナ文明・日本文明の政治道徳を比較しておこう。古今東西、為政者が仁政・徳治を行えば、人民は為政者に恭順し協同一致して、安寧・繁栄を図ろうと努める。逆に為政者が暴政・圧政を行えば、人民は抵抗したり、体制を打倒したりしようと戦う。それゆえ、さまざまな文明において、為政者に対して道徳を説く思想が現れた。またその一方で、人民の抵抗や闘争を正当化する思想も現われた。近代西洋文明に影響を与えたプラトンやアリストテレス、トマス・アクィナス等の思想は、前者の例である。ユグノーの暴君放伐論やロックの抵抗権・革命権の理論は、後者の例である。ボダンの場合は、前者である。その思想は主権論であるとともに、政治道徳論でもある。
 比較のために、政治道徳論において、西洋と異なる伝統を持つシナ・日本の思想について記す。シナには古くから天人相関説があった。天人相関説は、天と人との間、すなわち自然現象と人事との間に、因果関係を認める考え方である。君主が徳を持ち、徳のある行いをしていれば、天もこれに呼応し世の中は平和で作物も豊作となる。君主が不徳だと、飢饉となり疾病が蔓延する、と考えた。孔子の始めた儒教は、天人相関説を発達させたものである。儒教の政治思想は、天命を受けた者が有徳者として王者になるべきとする。また同時に、君主は有徳であるべきことを要求し、政治と道徳の合致を主張する。これを天命思想という。天命思想は、シナの代表的な政治道徳論である。孔子は「政を為すに徳を以ってす」、孟子は「徳を以って仁を行う者は王たり」と説いた。この天命思想はまた革命思想と表裏の関係にある。孟子は禅譲と放伐による王朝の交替を是認した。王朝の交替は、例えばそれまでの君主の姓が「李」だったのを「朱」に易(か)えたことになるので、これを易姓革命という。
 儒教は、為政者のあるべき姿を説き、仁政・徳治を勧奨した。だが、それが実践されないところに、革命が起こり、王朝の交替が繰り返された。またシナ大陸では、遊牧民族の侵攻による農耕民族の征服・支配が頻発した。シナの多くの王朝は、漢民族ではなく、周辺諸民族の王朝である。征服王朝は、儒教の思想を自らの正当化に利用した。支配・統治する者こそが、天命を受けた有徳者であるという逆転が起こった。力は正義であるとする思想と言える。
 シナとわが国では、考え方が大きく違う。違いは、歴史・伝統・国柄による。わが国は古来、一系の皇室が民族の中心であり続けている。この特徴は、既に鎌倉時代初期から認識されてきたが、江戸時代には、わが国とシナの伝統・文化・国柄の違いがより明確に認識された。例えば吉田松陰は、次のような主旨のことを記している。「わが国は、シナと全く違っている。天照大神の御子孫が天地とともに永遠にましますのであって、この大八洲、すなわち日本の国土は大神が開かれたところ、大神の御子孫、すなわち天皇が末永く守られるものである」(『講孟箚記』) こうした認識は、幕末の日本人に広くゆきわたっていた。
 天皇が君主であるのは、基本的には血統による。皇室は天照大神の子孫であることによって、侵しがたい権威を持つと仰がれてきた。また、神話に由来する三種の神器を保有することが、皇位の正統性を示すものとされている。シナと異なり、天が家系や民族に関係なく、徳のある者を君主に使命するのではない。徳は絶対条件ではない。有徳か否かに関わらず、臣下は天皇に忠を尽くさねばならない、わが国では考えられてきた。だがその一方、有徳であることは天皇のあるべき姿とされ、歴代の天皇の多くがそれを心がけてきた。これら血統・神器に加えて有徳を備えるよう努めてきたことが、わが国の皇室が今日まで繁栄を続け、民族の中心であり続けている所以である。
 私は、キリスト教的な西欧と儒教的なシナは、政治において同じ傾向を持つことを指摘したい。宗教・思想は異なるが、為政者に暴政・圧政を行う傾向があり、前者における隣人愛も、後者における仁義も、為政者の支配欲・権力欲を抑制し得ない。独裁的・専制的な為政者に対し、これを倒し、成り代わろうとする者が現れる。これに比し、わが国の場合は、天皇が「民の父母」として、仁の実践に努めてきたことにより、概ね仁政・徳治が行われてきた。これは世界史に希有の実例である。
 実は、人権に関する考え方も、その文明の基本的な思想によって異なる。宗教的には、西洋文明はキリスト教、シナ文明は儒教、日本文明は神道が主要であり、そうした宗教を土台として、それぞれの政治道徳論が説かれた。近代西洋文明で発達した人権の観念は、キリスト教思想が背景にあり、普遍的・生得的な権利が想定された。だが、シナ文明には、神授による普遍的・生得的な権利という思想は、伝統的に存在しない。大陸アジア的な専制国家、家産国家では、人民の個人性は尊重されない。だから、人権の観念そのものが、容易に根付かない。支配階級、特権階級の権利でしかなくなる。日本文明にも、一神教的な普遍的・生得的な権利という思想はないが、祖孫・君民の絆が強く、調和を重んじ、互いを大切にするという生き方があったので、人権の観念がよく受容された。近代西洋文明では、個人の権利、個人の利益が上位の者として追求される傾向があるが、日本文明では、集団の権利、共同体の利益が優先される傾向がある。
 この項目では、西欧における主権・民権・人権の歴史を書くことを目的としているので、詳しく述べることは控えるが、政治道徳論の違いが、人権の考え方にも影響しているのである。もっとも、西欧の特徴が明瞭になったのは、近代化によってであり、人権に関しては、特に市民革命以降である。本章では、人権の発達を歴史的に把握するため、西欧の中世から近代の初期までの期間における主権・民権・人権について書いた。次に章を改めて市民革命以後の時代について書く。

 次回に続く。

関連掲示
・わが国の政治道徳については、皇室の伝統と武士道の精神が重要である。これらについては、マイサイトの下記のページの拙稿をご参照下さい。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/j-mind10.htm
 「君と民」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/j-mind09.htm
 「武士道」
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