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2014年03月29日10:05

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人権89〜王権の強大化

●西欧における王権の強大化

 神聖ローマ帝国において始まった宗教改革、帝国を中心とした30年戦争、その後のウェストファリア条約体制を見てきたが、ここで帝国から西欧全体に視野を広げ、中世から近代への変化を、あらためて見てみよう。まず全体的な傾向を概術し、その後、イギリス、フランスにおける展開を書く。
 実は仏英では、神聖ローマ帝国より早くから権利関係・権力関係の変化が起こっていた。ウェストファリア条約体制によって、仏英が近代主権国家として覇を競う存在になったのは、そのためである。そこには、西欧の封建制に大きな変化が起こっていたことが背景にある。
 西欧の封建制に変化をもたらした原因の一つに、軍事的な技術の発達がある。14世紀以降、西欧では火器と傭兵制が登場し、騎士の存在意義が失われた。大砲や鉄砲の技術が進むと、傭兵軍隊を維持できる経済力を持った者でないと、戦いに勝ち残れない。国王の経済力の基盤は、土地所有である。土地を巡る戦いの勝者は、領地を拡大し、それによって経済力が増大した。経済力の増大は、軍事力の強化を可能にする。また軍事力の増大が経済力の増大をもたらす。こうして、戦いを繰り返す過程で、封建領主の中の第一人者に過ぎなかった国王が、各地で他に抜きん出た存在になっていった。国王とはいっても、この時点では封建制の国家の王であって、近代主権国家の統治権者とは異なる。
 13世紀末にイタリアに始まったルネサンスは、14〜15世紀には西欧各地に広がった。15世紀には、文芸復興による文化的近代化が進み、中世以来、曖昧模糊としていた国家という理念が徐々に明確になっていった。なかでも英仏両国では早くから中央集権体制が確立していった。
 16〜17世紀の西欧では、封建制の崩壊が進んだ。長く停滞していた商業の復活と貨幣経済の発達によって、地域間の結びつきが強まり、様々な封建制国家の国王は、地方の諸侯を支配下に組み込んでいった。王権の強大化は、経済活動に都合がよいので、都市の大商人から支持された。それによって、王権はますます強大化した。
 王は、都市の商工業者と同盟を結んで、力を拡大した。彼らから金をもらって軍を組織し、商工業の流通を守った。王が多数の傭兵を持つようになると、商工業者は、王に流通の安全を保護してもらった。やがて軍は常備軍となり、絶大なる王制への道を進んだ。また貨幣経済の浸透によって王の財政的基盤は転換した。直轄地からの租税が全国からの租税へと転換した。王の財政的基礎は拡大し強固なものとなった。
 国王の政府は、領域内において、組織的に武器を使用する物理的な強制力を独占し、それ以外の政治団体が実力を組織し、行使することを禁止するようになった。またそれを法によって制度化した。政府が軍事・警察に用いる実力を独占的に所有することで、国王は圧倒的な権力を持つに至った。
 権利論的に見ると、中世西欧における王は、領主の一人で、貴族の中で「対等なる者のうちの首席(primus inter pares)」に過ぎなかった。封建制の身分社会において、王の権利は、王の身分に伴う特権だった。王権(prerogative)は、王国(realm)の根本法である慣習法によって定められていた。貴族や聖職者も特権を持っていた。王の持つ大権も特権の一種であり、大権をもっても彼らの特権を否定することはできなかった。
 だが、王権が次第に強大になり、他の諸侯権(the privileges)を圧倒し、国王の主権(sovereignty)という概念が生じた。国王の主権は、それまでの王の大権が他の特権に比べて大きいという相対的なものだったのに対して、絶対的な権利を意味する。ここでの絶対的とは、一人の統治権者がすべての権力と権威を独占する状態をいう。国王の主権が確立されると、諸侯・聖職者・大商人は、王の命令には絶対服従しなければならない。王は自由に法律を作り、家臣や領民の生命,財産、自由を任意にでき、税金を課し、自ら信奉する宗教宗派を強制することさえした。
 国王はカトリック教会の教皇に対して、宗教的・世俗的な権利を主張するようになった。国王の宗教的権利は、自ら自由に信仰を持ち、領民にそれを信仰させることが究極の権利である。実際、イングランドでは国王がカトリック教会から離脱して国教会を創設し、北欧でも国王がプロテスタンティズムに改宗して、スウェーデン国教会やデンマーク国教会等が創設された。国王が統治する領域においては、教皇をさておいて、国王が神の権利と権力の代行者となろうとした。領域内という限られた範囲ではあるが、神の代理人が教皇から国王に代わりつつあったわけである。これは教皇権の縮小と国王権の拡大である。こうした変化が、神聖ローマ帝国の外で進んでいたのである。
 教皇権は教会の勢力圏における権利と権力だが、国王権は国家の統治領域における権利と権力である点が異なる。教皇権は宗教的権威に基づくものだが、国王権は世俗的実力に基づくものである。組織された武力が国王の権力の中核をなす。教皇権の教義の論戦で打ち破ることができるが、国王権は実力によって奪取しなければ移行しない。
 こうした中央集権化、実力の独占、宗教的自立という傾向が西欧で顕著になりつつあったところで、1618年ドイツで30年戦争が起こった。そして、近代主権国家が誕生し、今日の世界に似た主権国家が並立する国際社会が西欧に形成されたのである。

 次回に続く。
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