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2014年03月10日21:54

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時代を越えて(19) 石井桃子の図書館

 尾崎真理子「石井桃子の図書館」を「新潮」2014.3 で読んだ。これを含む評伝が「石井桃子の百年(仮題)」として5月に出版されるとのことである。

 石井桃子(1907.3−2008.4)については、20代になってからだが、「子供の図書館」岩波新書1965 を読んで感激したものである。石井が自宅で開設した図書館の記録であるが、子供のころから本を読んでいるつもりの私にも、ここに登場する少年少女に歯が立たないことに、いい意味でショックを受けたことを覚えている。
 ところが、この本の中で童話の模範として、その構造が分析されていた「ちびくろ・さんぼ」が、後に差別文書として糾弾され絶版になったことに驚き腹が立った。今、尾崎の評伝にもそのことに触れられているが、岩波新書は今だに絶版であった。 

 石井は岩波少年文庫の初代編集者として、アメリカの児童文学者との人脈を利用して、出版すべきリストをつくり、少年文庫の性格を確立したとのことである。私の子供のころは、岩波文庫や少年文庫の出版目録にある数行の解説を見て、何を買おうかと思案していたものであるが、少年文庫の方は文字数に比してかなり高いので、ほとんど手が出なかった。フィリッパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」など、何度も目録を眺めていたものだったが、いかんせん、高すぎた。

 石井の子供の本の選択基準は、「子供の文学で重要な点は何か?・・・時代によって価値の変わるイデオロギーはーー例えば日本では、プロレタリア児童文学などというジャンルも、ある時代に生まれましたが、――それをテーマにとりあげること自体、作品の古典的価値をそこなうと同時に、人生経験の浅い、幼い子供たちにとって意味のないことです」ということで、小川未明や浜田広介も、さらに坪田譲治も評価しなかったとのことである。
 当時、安保闘争の最中で、石井の仲間たちもデモに出かける中で、石井は戦前のプロレタリア文学運動、戦時下の翼賛活動、戦後のアメリカ占領下での民主主義教育に子供の本が振り回されてきた経験から、仲間たちの行動に危惧していた。

 問題になったヘレン・バーナマン「ちびくろ・さんぼ」は、こどものさんぼ君が、おかあさんに、新しい服を着せてもらって外へ出かけたところ(起)、4匹のトラたちが順々に現れてさんぼ君を食ってしまうぞとおどす。そのたびにさんぼ君は自慢の服、ズボン、靴、傘を差し上げて許してもらう。靴の時にはトラは四つないとだめだと言うのだが耳ではけば、と知恵を働かせ、傘の時は尻尾で持てば立派ですと言って危機を逃れる(承)。ところが、今度はトラたちが誰が一番立派になったかということで争って、走馬灯のように、互いに木のまわりをぐるぐる追いかけ、とうとう溶けてバターになってしまう(転)。そして、おかあさんがおいしいホットケーキにして、さんぼ君がおやつにたくさん食べる(結)、という物語である。
だんだん思いだしてきたが、石井の解説では、(承)でのトラの難題にはらはらし、それを一休さんのような機知で解決するさんぼ君に目を見張り、(転)での、それこそ奇想天外な展開。さらに(結)での、おやつをたくさん食べるという満足、というこどもの喜ぶ要素が揃っていることが説明されていたと思う。
 さし絵ではステレオタイプの黒人の子供のように描かれているが、実際はトラが出てくることからも分かるように、インドのしかも浅黒いのだろうから南部のドラヴィダ人を想定しているのであろう。
 アメリカで、これが黒人差別とされたのであろう。だったら、元のインドの少年に戻せばすむことだし、題名も「ちびのさんぼ君」で良いのでないのか。ストーリー自体に差別的なところはなかったはずである。もしか、「ちび」も差別語?
 あの騒ぎのときには、日本では変な一家が告発者となり、さんぼ君が馬鹿に見えるとかいって内容にも文句をつけていたような気がする。
 石井桃子自身はこの告発を不当としていたとのことであるが、時代のイデオロギーに左右されない理想の古典を追求していた石井が、そしてその典型と見た童話が糾弾されたのは、そして貢献してきた岩波にも見捨てられたのは心外なことだったようである。
 
 なお、石井桃子の図書館とは、子供の喜ぶ本を見つけるためのアンテナ・ショップのようなものだったらしい。

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