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2014年03月04日09:13

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フィクションの中へ(28) 岩谷時子の恋歌

 先日、どういうわけか岩谷時子(1916.3-2013.10)の歌番組を2本やっていた。BS・NHKアーカイブスとBS・ТBSのそれぞれ2時間ほどのものであった。岩谷時子を知ったのは竹下景子が演じたドラマだったが、それはウィキによれば1990年のNHKドラマスペシャル「ごめんねコーちゃん」だったから、もう25年ほど前になる。題名の由来は盟友・越路吹雪(コーちゃん)と死別し、まだ自分は生きていてコーちゃんのもとへ行かずにいる、という心を表したものである。
 番組はいずれも代表曲の歌を聞かせ、二、三人の歌手をコメンターとしたもので、どちらにも加山雄三とピンキーが出演していた。

 加山雄三の岩谷の印象は「地味で控え目な物腰で、教会から出てきたような(修道女のような?)人柄」だったのだが、送られてきた歌詞は第一印象から想像できない大胆で官能的なもので、そのギャップの大きさに驚いたと。
 「君といつまでも」
 「君はそよかぜに 髪を梳かせて /やさしくこの僕の しとねにしておくれ」

 確かにこれは、百人一首の待賢門院堀川「長からむ 心もしらず 黒髪の みだれてけさは 物をこそ思へ」に似ている。こちらは別れを予感しているが。

 他のコメンターも異口同音に言っていた。
ザ・ピーナッツの歌「恋のバカンス」「ためいきの出るような あなたのくちづけに /甘い恋を夢見る 乙女ごころよ /金色に輝く 熱い砂の上で /裸で恋をしよう 人魚のように」・・・しかも清楚な感じのザ・ピーナッツに歌わせたのである。

 ピンキーの歌「恋の季節」「夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと」
これはおかしいエピソードがあって、越路吹雪が外国で(イタリア?)「夜明けのコーヒー ふたりで飲もうと」誘われたので、夜明けに約束の喫茶店に行ったら、相手は徹夜で待っていたという。それをそのまま歌詞に入れたのだそうである。
 百人一首の素性法師「今来むと 言いしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな」の笑い話版であった。

 作詞家の湯川れい子がこの「街はいつでも 後姿の 幸せばかり」に感心していた。
 矢野顕子の歌「ウナ・セラ・デイ東京」「街はいつでも 後姿の /幸せばかり ウナ・セラ・デイ東京」
 これは岩谷が街を見下ろしていて感じたことだったそうである。通りには、こちら向きと向こう向きの人が流れているのだが、向こう向きに去っていく人だけに幸せを感じたことになる。後ろ姿の人が我が家へ帰って行くと見たのだろうか。それとも、幸せは自分に背を向けていると解するのだろうか。

 なお、古今や新古今には恋歌はたくさんあるが、性愛的なものは意外に少なかった。
 在原業平「唐衣着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」は後朝の別れに今まで共にかけて眠っていた衣を着せかけている場面で、待賢門院堀川のものに近いと思えた。
フランスには、ルミ・ド・グールモン(1858-1915)「ブロンドの林」「わ れは恋の女の、恋に満ちたる肉体(からだ)なり」(堀口大学訳詩集「月下の一群」新潮文庫)があった。
 シャンソンが好きだったというから、これなども読んでいたのかもしれない。

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