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2014年01月30日08:45

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韓国が認めないベトナムでの残虐非道5

●今も残るライダイハン問題

 韓国軍がベトナムで行ったのは、民間人多数の虐殺だけではない。ベトナム各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点に、婦女子の強姦がある。ベトナム戦争当時、南ベトナム解放民族戦線は、韓国軍による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日、放送によって報じていた。戦闘終了後の治安維持期に入ると、韓国軍は兵士の行動への規律を強めたが、その後も兵士が村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発した。
 ベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、次のように証言している。「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」と。(金賢娥著『戦争の記憶 記憶の戦争─韓国人のベトナム戦争』三元社刊)
 この証言から、暴行の後に婦女子を虐殺した例が多くあったことが推察される。その一方、婦女子を捕まえて、売春婦にするということも多く行われた。
 元朝日新聞サイゴン支局長の井川一久氏は、次のように言う。
  「当時、軍と共にベトナムに入ったのが約1万5000人の民間の韓国人です。彼らが何をしたかというと軍が村を襲ったあと、命からがら逃げてきた少女らを捕まえて今度は売春婦にしたのです。今も覚えていますが、彼女たちは15分5ドルで兵士の相手をさせられていた。彼女たちの手元に残るのはそのうちせいぜい3ドルぐらい。韓国政府が問題にしている日本軍の慰安婦は、2〜3年も働けば今の金額にして2000万〜3000万になったというから、比べ物になりません」と。(『週刊新潮』平成25年12月12日号)
 本年(平成25年)8月、韓国国防部の報道官は、米・ニュースサイト『グローバル・ポスト』の取材に対し、「韓国軍が組織的に民間人を虐殺することは不可能だ。わが軍隊は厳しい規律と命令系統の下で任務を遂行しており、ベトナム人女性の性的搾取もまったくない」と答えた。だが、それを裏付ける調査資料を示さなかった。
 実際にはベトナム戦争の時期、強姦されて生き延びた婦女子や、売春婦にされた婦女子の中には、望まぬ妊娠しを子供を産んだ者が多数いる。また韓国人の兵士や労働者がベトナム女性の間に作った子供を捨てて帰国した場合もある。こうして生まれた混血児を「ライダイハン」という。
 ライダイハンは蔑称である。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する。ライダイハンの人数には諸説あるが、『釜山日報』は最小5千人、最大3万人としており、概数を示すものと見られる。
 ライダイハンは、ベトナムで大きな社会問題となっている。だが、韓国政府は積極的な支援をしていない。ライダンハンは1960年代後半から70年代前半の生まれゆえ、もはや年齢層は40歳代が中心となっている。米国は米国人との混血児を国内に受け入れる政策を取ったが、韓国は全く対処をしなかった。ライダイハンが韓国人の父親に対して認知を求める訴訟を起こし、判決により韓国国籍を取得した例もあるが、多くは父親がわからないか、父親に捨てられたままである。
 韓国軍は、ベトナムにあまりも深い傷跡と多くの問題を残した。それを象徴するものの一つが、ライダイハンの存在である。

●韓国政府は謝罪していない

 ベトナム戦争に派兵を決めた朴正煕大統領は、1976年(昭和51年)10月26日に暗殺された。政治家の崔圭夏(チェ・ギュハ)が後を継いだが、5・17クーデターによって軍部が政権を掌握し、ベトナム参戦の軍人・全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)が大統領職に就いた。その後、金泳三(キム・ヨンサム)が政党人で大統領となり、1998年(平成10年)に金大中(キム・デジュン)が大統領となった。その年、金大中は韓国大統領として初めてベトナムを訪問した。
 ベトナム訪問中、金大中大統領は遺憾の意を表明した。これに対し、韓国政府の外交部(註 わが国の省に当たる)は「謝罪ではない」とコメントした。2001年(平成13年)8月24日、金大中は、ベトナム大統領として初めて訪韓したルオン大統領に対し、「我々が不幸な戦争に参加し、不本意ながらベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と一歩踏み込んだ発言をした。だが、野党や軍人が反発すると、金大中は自分の発言を取り消した。この時、野党ハンナラ党の副総裁だった朴槿恵氏(現大統領)は、金大中の発言は「(韓国軍)戦士の名誉を傷つけるものだ」と激しく批判した。
 李明博(イ・ミョンパク)大統領の時代の2009年(平成21年)、ベトナム戦争の解釈をめぐって、韓国政府はベトナム政府と衝突した。韓国の国家報勲処が国家報勲制度に係る法案改正の趣旨説明文書を国会に提出した。文書はベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現していた。これに対し、ベトナム政府は、「我々は被害者である。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と強く反発した。また予定されていた李大統領のベトナム訪問を拒否する方針も伝えた。韓国側は、柳明桓外交通商相をベトナムに派遣し、外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文言を削除することを約束した。それによって、李大統領のベトナム訪問は予定通り行われた。この一連の外交交渉で、ベトナム政府は「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と韓国政府を批判した。だが、ベトナム政府は、その後も、韓国政府に対して、ベトナム戦争時代の韓国軍の虐殺や強姦に関して、正式に謝罪を求めてはいない。

 次回に続く。
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