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2014年01月27日10:24

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韓国が認めないベトナムでの残虐非道3

●韓国人が自国軍の所業を明らかに

 コンデが伝えたような韓国軍による蛮行は、ベトナム戦争当時は国際的にあまり注目されなかった。特に韓国では無視されてきた。その事情につき、ジャーナリストの佐藤和氏は、『SAPIO』2001年(平成13年)9月26日号に掲載された「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」に、次のように書いた。
 「アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。
 冷戦時代、反共産主義が優先された韓国では、自国の恥部となり得る問題は隠されてきた。それどころか自国民が被害者となったケースでも、問題は隠されてきた。例えば朝鮮戦争下での米軍による韓国避難民大量虐殺の事実でさえ、韓国メディアで報道されたのは金泳三政権になってからの94年(註 1994年)である。
 また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた」

 ベトナム戦争は1973年(昭和48年)に和平協定が成立し、76年に南北ベトナムが統一された。韓国では87年から民主化が進められ、91年には世界的な冷戦が終結した。こうした変化の中で、ベトナム戦争における韓国軍の蛮行に関するタブーは破られていった。
 佐藤氏によると、最初にタブーを破ったのは、韓国の民主化の中で生まれたハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は1999年(平成11年)5月6日号に、韓国軍がベトナム戦争で行った虐殺事件の記事を掲載した。
 「通信員」として記事を書いたのは、当時、ベトナム留学中だった大学院生のク・スジョン氏。ク氏はベトナム当局から韓国軍の残虐行為が記された資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を行った。徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、韓国軍による無差別殺戮の実態を報じた。
 記事は、ベトナム中部のビンディン省の村々で起きた凄惨な虐殺事件を生々しく伝えた。
 「1966年1月23日から2月26日までの1か月間、猛虎部隊3個小隊、2個保安大隊、3個民間自衛隊によってこの地域だけで計1200人の住民が虐殺され、その中には1人残らず皆殺しにされた家族が8世帯もあった」
 生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理すると、いくつかの共通したパターンが見られるという。

・大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
・子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
・女性を強姦してから殺害。
・妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
・トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す。

等々である。
 ク氏は、『ハンギョレ21』1999年9月2日号では「ベトナム戦争では韓国軍は4万1400名の敵軍を射殺した。そして、公式の統計では集計されたことがないベトナム民間人の犠牲があった。ベトナム文化通信部(註 日本の省に当たる)は、韓国軍によって集団虐殺された民間人の数をおよそ5000人あまりと見ている。私は、最終的に韓国軍により引き起こされた80件あまりの民間人虐殺事件で9000人あまりが犠牲になったと推定している」と語った。
 翌年、米誌『ニューズウィーク』は、2000年(平成12年)4月21日号で、「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた。ク氏らの調査を紹介し、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ぺージにわたり大々的に報じた。それによって、韓国軍の暴虐は、国際的に注目を受けるようになった。
 ちょうど同じ時期、『ハンギョレ21』は、2000年4月27日号に、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言を掲載した。その元軍人は、「戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだ」と語った。しかし同時に、今やその行為に罪悪感を感じており、「韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望む」と述べた。
 ベトナム戦争における韓国軍の暴虐が伝えられると、韓国社会に衝撃が走った。戦争被害者だと思っていた自分たちが、一方ではベトナムで残虐非道の限りを尽くしていたからである。
 『ハンギョレ21』の記事に対して激しい反発も起こった。2000年6月27日、韓国・ソウルの『ハンギョレ新聞』本社が2000人を超える迷彩服姿のデモ隊に包囲された。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」の会員だった。この会は米軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ退役ベトナム参戦軍人の団体である。ベトナム戦争では約5000人の韓国人が死んだ。彼らは、国のために闘った戦友を冒涜されたとハンギョレ新聞社に激しく抗議した。社屋に侵入したデモ隊の一部は暴徒化し、同社幹部らを監禁し、暴行を加え、コンピュータや地下駐車場の車を破壊した。 

 次回に続く。
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