mixiユーザー(id:525191)

2014年01月25日08:39

43 view

人権80〜国益追求は国民の権利

●国民の権利としての国益の追求

 前項において、マズローの欲求5段階説と生命的・物質的・精神的価値の関係について述べた。これらの価値のうち、特に精神的な価値について補足したい。わが国では、この精神的な価値があまりにも軽視されているからである。日本国民に生まれたことへの誇り、先祖への感謝、子孫への希望を持てること、それらも国民の幸福追求に欠かせないものであり、国益の要素である。そして、日本人が、歴史を独自に解釈し教育する権利、英霊の名誉を顕彰し自らの伝統に従って慰霊する権利なども、国益の一部となる。国益とは、単に領土の保全・拡張や、経済的権益の維持・拡大等といったものだけではないのである。
 国家とは、政治的・文化的・歴史的な共同体である。そして、国家を構成する国民とは、現在の国民だけでない。過去・現在・未来の世代を含む。この観点に立つと、国益は、現在の世代だけではなく、先祖や子孫の世代をも含めた国民の利益となる。
 この点が重要である。上記の生命的・物質的・精神的価値は、先祖が願ったことであり、我々が自らのため、また子孫のために努力し、子孫もまた求め続けることであろうものである。国益にいう利益とは、こうした意味での国民の幸福を実現し、また増大するものである。
 最低限、生存と安全が保障され、生命的な繁栄また経済的な発展が得られ、さらに国家に所属することによる安心や誇り、個人の自由や名誉、固有の伝統・文化・価値の保守と継承、さらに個人が自己実現のできる環境にあること等が、その利益の内容であり、目標ともなる。
 こうした生命的価値、物質的価値、精神的価値を実現すること。それが国益の追求であると私は考える。そこに、政治、国防、外交、経済、教育等の目標がある。
 国益の追求のためには、国家は自ら意思決定をすることができなくてはならない。他に依存せずに、自己の自由意思によって、自分の態度や運命を選択できるということである。これは他国に対しては主権を維持し、行使することとなる。それなくしては、国際社会において、国民の権利を守り、追及することができない。国益の実現のためには、主権が保持されねばならない。また、その行使として、政治、国防、外交、経済、教育等が重要となる。
 とりわけ、対外的に生存と安全が脅かされる場合は、国内に利害の相違・対立があっても、外敵への対応が優先される。国益の決定的な損失は、個人の利益、企業等の団体の利益にとっても決定的な損失となる。だから、究極的には、個人や集団の社益を守るためには、国益を守らねばならない。
 集団としての国家が確かな意思決定をするためには、国民一人一人が国益を考え、国民全体の幸福を考えて行動しなければならない。国益を実現できていない国家では、政府は国民の権利を十分保障できない。国民は自らの権利を国家・集団を通じて十分実現できない状態となる。集団の権利あっての個人の権利である。
 第2章の自由の項目に、現代のリベラリズムについて書いた。現代のリベラリストの多くは、自由の基本原理は、他者への寛容にこそあるという。その行きつく先は、個人の選好の尊重となる。個人の自由の優先は、伝統的な社会道徳や公共の利益と対立する。また、個人の欲望を制限なく解放するものとなりかねない。個人主義の極端化を招く恐れがある。自由を中心的な価値とし、それに傾いた議論は、集団の権利や国益を説明できない。国民による国民の権利の相互保障、特に国防の義務を基礎づけられない。基本的な人間観を掘り下げ、人間には人格があることを認め、自由は個人の人格の成長・向上のための条件であり、国民が自己実現を共同的相互的に促進する社会を目指すという目標が国家的に掲げられねばならない。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「国家と国益を考える」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion13.htm
 目次から23へ
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する