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2014年01月12日09:38

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人権78〜国民の証としての国籍

●国民の証としての国籍

 ある人がある国の国民であることを証するものが、国籍である。国籍とは、国民としての資格であり、国民とは、その国の国籍を保有する者をいう。国籍は統治機関としての政府が付与する資格である。国民としてのアイデンティティは、国民における主観的な要素であり、国籍は国民における客観的な要素である。国籍は、19世紀の西欧において発達した制度である。今日の国際社会では、ある個人がどの国家の国民であるかを識別する指標となっている。
 国籍の有無が国民と非国民を分ける。国民と非国民は無差別平等ではない。外国人は、自らが滞在する領域国において、基本的自由や日常生活に必要な権利等は、領域国の国民と同等の権利を享受する。ただし、参政権や公職に就く権利等は除外されるか、限定される。経済活動に関する権利も、一定の制限が設けられる。例えば、土地・船舶・航空機の所有、資源開発について、領域国は国家の安全や公益を理由に、制限を課すことが認められている。一方、外国人は、自らが滞在する領域国の法令を遵守すべき義務を負い、原則として領域国の国民と同等の義務を負う。ただし義務教育や兵役などの当該領域国の国民に専属的な義務は免除される。
 国籍の付与は典型的な国内管轄事項である。いかなる人に対していかなる条件のもとに国籍を付与するかは、各国国内法による。一定の条件のもとに重国籍を認める国もあるが、重国籍の場合は、複数の国家により納税や兵役の義務が課せられたり、外交的保護権の行使が主張されたりするなど個人の不利益を招いたり、場合によっては国際紛争の原因となりうる。
 国民とは、単にある時点で国籍を保有する者だけではない。その国民の先祖と子孫を含む。それゆえ、国家は、過去・現在・未来の世代を含む“歴史的な総国民”によって構成される共同体である。この歴史的総国民の共同体としての国家・国民・民族が、ネイションである。ネイションにあっては、家族における父母―自分―子供という生命的なつながりと似たものとして、国民における先祖―自分たちー子孫というつながりが意識される。
 先祖とは、その国の歴史・伝統・文化・資産を創造・継承してきた国民である。過去の国民の営為に感謝し、彼らの努力の成果を相続するところに、その国民のアイデンティティが成り立つ。国籍を保有することは、単に政府から与えられた資格を持つことではなく、先祖が形成した歴史・伝統・文化・資産を受け継ぐことを意味する。同時に祖先から受け継いだ歴史・伝統・文化・資産を、将来の国民即ち子孫に受け渡していく責務を負うことを意味する。それゆえ、国籍とは、国民として国家の意思を決定し、国家と運命をともにするという意思の表示である。このことを理解し、国民の運命を自らの運命として請け負おうとしない者には、国籍を与えるべきではない。
 本来、国民国家においては、国民の義務として国防の義務を負うことが、国籍付与の条件であるべきものである。だが、わが国は、現行憲法の下、この近代国民国家の重要要素を欠いている。これを正すまでの間は、他国以上に国民としての意識の共有が重要である。移民に国籍を与え、国民としての資格を与えることは、互いに国家を防衛し、運命を共にすることを要求することでなければならない。
 移民の祖国と戦争になった場合、日本国民として、日本のために判断・行動する覚悟を決めた者でなければ、国籍を与えるべきではない。国籍とは、どの国の立場に立って戦うのかが、究極の選択である。その時、共生による対等ということはあり得ないのである。
 20世紀の世界では、国籍を剥奪されたり、喪失したりした無国籍者が出現した。国際社会において、人権を守るものは、まずその人間が所属する国の政府である。その国の成員であるので、国民を守るのである。だが、無国籍者は、自分の権利を守ってくれるものを持たない。国外強制退去となった時に、当該個人を受け入れる国がないということも起きる。
 ナチス・ドイツにおいて、国籍を剥奪されたユダヤ人は、人間でありながら「人間的な権利」を失った。国籍を喪失して他国に亡命しようとしても、その国の政府が受け入れなければ、権利を保護されない。国籍とは、国際社会において自分の権利を維持するために、最も大切なものである。個人の権利を守り支えているのは、その個人の所属する国家であり、その国家を成り立たしめている国民である。
 ところで、私は近代西欧で人権という概念が発達したのは、西欧諸国に移住したユダヤ人が諸国民の権利のはざまで独自の権利を確保しようとしたことと深い関係があると考えている。古代の中東において国家が崩壊し、国土を失ったユダヤ人は離散民(ディアスポラ)として各地に広がった。ユダヤ人は中世西欧において、権利を制限され、居住地や職業を限定された。イタリア、スペイン等ではユダヤ教からの改宗を強要されたり、国外追放の措置を受けたりした。オランダ、イギリス、フランス等に移住したユダヤ人は、商業、貿易、金融等に能力を発揮し、経済力を蓄えるとともに、社会的な地位を高めていった。哲学、思想、科学、芸術等にも能力を発揮し、近代西欧の発展に少なからぬ役割を果たした。
 近代における西欧諸国の発展と衰亡は、ユダヤ人の存在なくして語ることができない。彼らは、ある時は商人として国王に重用され、ある時は国王によってその国を追われ、ある時は宮廷で財務を取り仕切り、ある時は国境を越えて金銭を獲得し、ある時は政府を動かして富を蓄積し、ある時は国家によって権利を剥奪され、ある時は国家を創って元の地域住民を駆逐し、ある時はその国家をもって他国を侵攻し、被支配民族から富を収奪した。
 西欧諸国では、キリスト教の新旧諸派だけでなく、ユダヤ教に対しても寛容の原理が説かれた。ユダヤ人の活動無くしては、信教の自由を実現し、思想・信条の自由を確立する運動は、それほど進展しなかっただろう。第2次世界大戦後の世界において、人権が急速に主要価値となって広がったのも、ナチス・ドイツによって生存の危機を体験したユダヤ人の活動が、かなりの影響を与えている、と私は推測している。本稿の主題である人権の思想と発達は、ユダヤ人の権利の防衛と拡大を抜きに考えられないものである。

 次回に続く。
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