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2014年01月04日09:59

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戦後韓国の慰安婦制度こそ、真の国際人権問題2

●朝鮮戦争時の韓国軍慰安婦

 戦後韓国の慰安婦問題は最初、平成14年(2002)2月、韓国慶南大学の客員教授・金貴玉(キム・ギオク)氏が、立命館大学で開催された国際シンポジウムにおいて明らかにした。当時朝日新聞は、次のように報道した。

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●アサヒ・コム(朝日新聞) 平成14年2月24日

韓国軍に「慰安婦」 朝鮮戦争時
朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表

 朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったことが23日、立命館大学(京都市北区)で開かれている「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)で明らかにされた。韓国軍慰安婦について日本で公になったのは初めて。発表した韓国・慶南大客員教授の金貴玉(キム・ギオク)さん(40)=社会学=は「日本軍の慰安婦制度をまねたものではないか」とみている。
 金さんは96年、離散家族のインタビューの中で、「50年10月、韓国軍の捕虜になり、軍慰安隊の女性と出会った」という男性の証言を得た。以後5年間インタビューを重ね、「直接慰安所を利用した」「軍に拉致されて慰安婦にされかかった」という男女8人の証言を聞いた。
 さらに金さんは、韓国の陸軍本部が56年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』に「固定式慰安所−特殊慰安隊」の記述を見つけた。設置目的として「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」とあり、4カ所、89人の慰安婦が52年だけで20万4560回の慰安を行った、と記す特殊慰安隊実績統計表が付されている。
 証言と併せ、軍隊が直接経営していた慰安所があった、と金さんは結論づけた。
軍関係者の証言の中には、軍の補給品は第1から第4までしかないのに、「第5種補給品」の受領指令があり、一個中隊に「昼間8時間の制限で6人の慰安婦があてがわれた」とする内容のものもある。
 どんな人が慰安婦になったかは明らかではないが、朝鮮戦争時に娼婦(しょうふ)が急増し、30万人にも及んだことから、金さんは「戦時の強姦(ごうかん)や夫の戦死がきっかけで慰安婦になった民間人も少なくない」と見ている。
 金さんは「設置主体だった陸軍の幹部の多くは日本軍の経験者だった。韓国軍の慰安婦が名乗り出るためには、日本軍慰安婦問題の解決が欠かせない。韓国政府と、当時軍統帥権を握っていた米国の責任も追及したい」と話している。

 大阪外国語大学の藤目ゆき助教授(歴史学)の話 「非常に重要な報告だ。軍慰安婦については、韓国でもほとんど知られておらず、発見といっていい。韓国にいて韓国軍の暗部を問うのは難しい。同胞の女性を性奴隷化した自国社会を直接問うことになるからだ。アジア女性史研究の上でも、軍慰安婦と現在の軍事基地周辺での性暴力がどのようにつながっているのかを知る助けになる」
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 上記の記事は朝日新聞が報道したことに、歴史的な意義がある。記事の内容を補足すると、金氏は博士論文を書くために江原道束草で調査を行っていた時に、朝鮮戦争時の韓国軍慰安婦の問題を知った。金氏は越南人のキム氏から次のような話を聴いた。「自分は1950年、国連軍に逮捕されたが、民間人にも関わらず人民軍に分類された。平安北道の小川で巨済島捕虜収容所に移送される時まで、米軍部隊を付いて回って食事と洗濯の世話をした。その部隊には慰安婦たちがいた。北の言葉遣いでないことは明らかで、南の人のようだった」と。この証言から金氏は、「米軍と韓国軍が1950年の10月に休戦ラインを突破する時点で、すでに女性たちを引き連れて行ったことが分かる」と述べている。

 次回に続く。
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