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2013年12月21日11:07

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平凡俳句とプロ級の違いのこと

 木曜日のテレビで、雪の降る丸の内側の東京駅での人々の写真ををみせ、タレントたちに俳句を作らせ、それらの俳句の順位づけをしている番組があり、俳句づいているかみさんが面白いというので一緒に見ていた。
 1位がプロ級、2位が描写力あり、中間が平凡俳句で、最後の二つが才能なしという評価で、審査は夏井いつきという俳人だった。知らない人だったが、黒田杏子の弟子とのこと。

 で、2位は、名前は忘れたが見覚えのあるレスラーだったが、「靴底の冷たさいやすレンガかな」・・・はっきり覚えていないので、少し違うかも。主催の評価は描写力がすばらしい、とのことだった。雪の中を歩く人々から靴底を連想したわけである。
 で、1位のプロ級は若い女性タレントだったが、「いずこより鳥の鳴き声冬の川」(これも違うかも)・・・どうして東京駅から冬の川の鳥の鳴き声に飛ぶのか。しかし、私にはこれのどこがいいのか分からなかった。2位の方がずっといいではないかと思ったのである。

 しかし、よく考えてみると、しょうじょうとした冬の川に鳥の鳴き声を出して、何とはなしの暖かさを描き出しているのである。句意は2いのものと同じ。ただ、あからさまに言わないところがよいのだろうか?

 3位以下は、雪の中の恋人などをだして発想がありきたり、誰でも思いつくと辛らつに批評されていた。

 ということで、私の限界は2位は分かったが、1位は分からんというもので、通常は風景をそのまま写したありきたりの写生句ということに違いない。たまに2位クラスができると入選させてもらえるのだろう。

 今、夏井いつきの俳句が分からないので、黒田杏子をみると、「十二支みな闇に逃げこむ走馬灯」とか「白葱のひかりの棒をいま刻む」などはすばらしいと思うが、「暗室の男のために秋刀魚焼く」は、前半と後半がどうつながるのかわからない。「かよい路のわが橋いくつ都鳥」は、ただの言葉遊びのようにみえるし、「秋つばめ包(パオ)のひとつに赤ん坊」にいたっては、それがどうしたと思ってしまう。
 やれやれ、いずれにしろ、ただ見たまま写しているようではだめで、見て、心を飛躍させて、写すという順序のようだ。
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