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2013年07月14日07:43

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時代の中で(99) 太宰治の暗夜行路

 今朝の読売新聞日曜版の「名言巡礼」は太宰治と富士山であった。富士山の世界遺産登録に関連させたものであろう。名言はもちろん「富士には、月見草がよく似合う」である。
 この年、太宰30歳で、井伏鱒二の紹介で美知子夫人と結婚している。富士山に背を向けて月見草を眺めていたお婆さんの姿のスケッチだが、当然、自身の姿を重ねているのである。たとえ、富士につまり日本に背を向けていても、その麓で二人つつましく生きて行こうという決意を示したのであろう。
 名言巡礼の見出しには「明るい新婚時代、妻思う心」とあるが、しかし、そう手放しでもいられまい。この2年前、前妻の初代夫人と心中未遂の末離婚しているのである。その原因は、太宰が薬物中毒で入院中に浮気をしたということであった。まるで、志賀直哉「暗夜行路」のような展開である。「暗夜行路」では伯耆大山の中腹で浮気した妻を許す気持ちになるのであるが。

 太宰の場合は、新しい妻と再出発だったのだが、見出しのような明るい気持ちになれたのだろうか。「人間失格」だったと思うが、故郷でなじみの芸者だった女性を東京へ呼び寄せ、結婚するのであるが、その時の太宰の心の中には、結婚してやるのに感謝の気持ちが見えない、という不満だったと言う。むろん、「人間失格」は最後の懺悔録であって、その時の心を謝罪しているのである。
 しかし、当初から不満のあった初代夫人が浮気をしても、自身から離婚を言い出せない太宰が手放しで明るい気持ちになれたとも思えない。富士山につまり、日本に津島家に反抗せず生きて行く、しかし、背を向けていてもいいだろう、ということで、やはり屈折していると思うし、だからこそ、印象的なのである。風呂屋の影のない、文字通りすっぽんぽんの富士山ではない。
 そして、井伏鱒二。彼は前妻の初代夫人のことも知っていて、大陸へ渡った彼女が、一度日本へ帰って井伏に会いに来た時のことを太宰に伝えている。忘れさせてくれないのである。井伏は太宰に手伝わせて盗作していたとのことであったが、太宰が遺言で井伏さんは悪人です、と書いたのは、そのことだけでなく、チクチク傷を刺してきた言葉ではなかったか。
 それに、志賀との最後の論争は「暗夜行路」に腹を立てたことが原因に違いない。現実に、そこを歩いたのは太宰のはずではないか。志賀直哉は嘘つきです、と言いたかったにちがいない。
 
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