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2013年04月21日08:32

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ただいま犬と散歩中(地主神社)

 今朝は雨がしとしと降りやまず、犬がウンチしたところで引き揚げた。当然のこととして中に入ってきてまた寝てしまった。

 思い出してみれば、母方の実家の姓は「引地」といった。鳥取県倉吉市の近くであった、と言う。などと頼りないが、小学生になる前に、母の古着行商について歩いただけで、具体的なことは覚えていないのである。
 そいううことはあるもので、新撰組芹沢鴨の子孫と言う人にあったことがある。若いころ出たきりで、どこだか分からない、などというので、ネットで調べたら行方(なめがた)市(旧玉造村)に芹沢の地名があり、鴨の生家が保存されているとのことだった。

 脱線、元へ。子供の頃は清水寺の近くに住んでいたので、その裏山は遊び場だった。舞台の裏を抜けて山に入るのだが、そのわきに小さい祠があった。むろんそんなものは無視だったが、いつの頃か、その地主(じしゅう)神社が有名に立派になっていた。何でも縁結びの神として全国デビューしたという。
 なんで縁結び? と調べたら祭神は大国主の命だった。つまり、縁結びの出雲大社に関係していたのだった。もっとも縁結びというなら、大国主の父とされるスサノオだと思うが。「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに・・・」は結婚式の歌だし。もっとも、今は、高砂やが主流だろうが。

 元へ。言いたいのは、大国主ー国引き。地主ー引地。の相関関係なのである。各地から国を集めて出雲を大国にする。土地を集めて地主となる。大和へ国譲りする前の出雲のヒエラルヒーは、大国主ー国主ー地主だったのではないのだろうか。今でも、沼の主などと言う言い方があるが、王と同じ意味だったに違いない。
 古代の東山一帯は出雲の支配下にあったと思われる。少し北の八坂神社(祇園祭の)はスサノオの命だし。・・・もっとも、神仏習合時代は牛頭天王を祭っていたと言うのだが。
 それに国引きの主役は八束水臣津野命(やつかみずおみつぬの命)で、風土記だけで古事記には記録されていない。
 それに、引地姓は福島県と島根県細部の岩見に多く、倉吉周辺にはない?で、地名で調べたら、近くの湯梨浜(ゆりはま)町に引地があったが、読みはひきじだとのこと。・・・ますます、こんがらがって趣旨不明となったので、ここらでやめます。
 
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