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2013年02月05日10:43

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ファンタジーの往還(20)  ミーナの行進

 

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 カバの絵のあるマッチ箱。喘息のミーナは家族に内緒でマッチ箱の絵に物語をつけている。

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 ミーナの豪邸には動物園まであった。今、残っているのはコビトカバのみ。ミーナはコビトカバに乗って小学校に通っている。題名の由来。

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 1972年ミュンヘンオリンピック。ミーナと朋子はバレーボールに熱中。ミーナはトスをあげるセッター2番猫田のファンだった。猫田は若くして亡くなった。1962年生まれの著者も彼女たちとほぼ同年。著者の体験が反映されているのであろう。
 
 小川洋子「ミーナの行進」中公文庫2009(単行本2006) は、芦屋の洋館に住む、過保護で病弱の箱入り娘、そのためか想像力が発達しているミーナと1年間一緒に暮らした従姉の朋子(物語の語り手)との、バーネット「秘密の花園」のような、あるいはシュピリ「ハイジ」のような物語である。
 時は1972年オリンピックの年で、川端康成が自殺している。ミーナは6年生。喘息で、コビトカバに乗って小学校に通う以外は家にこもりきりであった。朋子は中学1年生。岡山で母と暮らしていたのだが、母が手に職をつけるため東京の寮にに入ることになったので、社長の妻となった母の姉のいる芦屋で世話になることになった。

 芦屋には、ハンサムで何でも器用に修繕する2代目の会社社長の父親。ドイツ人の祖母。先代からの忠実な庭師と家政婦。スイスに留学中のスポーツマンで父に劣らずハンサムな兄のいる、幸せを絵にかいたようなとしか言いようのない家庭であるが、内実は崩壊家庭であった。父親は家庭の修繕はできないのである。
 父親には愛人がいて、年に数回しか帰ってこない。そんな父親を兄は無視する。ミーナは父も兄も慕っているのだが。母親はアルコール依存症で、ミスプリントを探して出版社に通知するのが唯一の趣味。ドイツ人の祖母はいまだに日本語が不自由で、お化粧が趣味。ということで、この家が保たれているのは二人の使用人のおかげである。ミーナは家族誰ものアイドルであり、その分過保護が徹底している。普通の少女である朋子がやってきたのはこんな状態の時であった。

 ミーナと朋子はバレーボールに熱中し、ルールはもちろんすべての動作の型を実演できるようになる。そこで朋子は母親にバレー用のボールを送ってもらって、イメージのとおりに球を打ってみるのだが、実際には全く何もできないことを思い知らされる。しかし、二人はあきらめることなく、テレビで見つめた選手たちの動作の再現をめざす。

 この物語はコビトカバに乗ってしか外へ出ることのできなかったミーナが、実人生で活躍できるようになったきっかけの1年間を描いていたものである。ミーナの秘密の花園というべきものは、マッチ箱の絵をモチーフとした物語を箱の中に張り付けて、その箱にマッチ箱を入れて、ベッドの下に隠しておく、というものである。念の入ったことであるが、いわば、もやしのようにしにして心の秘密を育てていたのであるが、朋子につられるように外へ出て、とうとうバレーボールによりイメージを実現しようとする努力ができるようになったのである。
 心が光にあたることを恐れなくなるまでの物語、あるいは、心は薄明かりの中で育ち、強くなってから外光へ出すものなのだと、著者は言いたいのであろう。

 この小説は谷崎潤一郎賞を受賞したとのことである。私の場合、谷崎と言えば「細雪」なのであるが、そういえば、これは芦屋のブルジョア家庭のゆっくりした没落の物語、家族や使用人も含めて穏やかでありしかも毅然としている。使用人の側から見れば、カズオ・イシグロ「日の名残り」になるのだろう。
 これがファンタジーにみえるのは、絵が入っていることや、コビトカバに乗って行進する、などとあるばかりでなく、心の内面と外面を同時に描いているからであろう。心の中を外からの描写で見せるのが正統リアリズムなのだろうが、読者の心も同時に変えようとすれば、心の芽の状態に戻すファンタジー世界がふさわしいのでないだろうか。
 また、これは著者自身がミーナと朋子に別れて心を通い合わせたものであり、読者それぞれが自身の少年時代をイメージして、実行してみる価値のある精神療法的小説だと思う。
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