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2013年01月30日21:59

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ファンタジーの往還(17)  Dear Mili

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 戦争が始まり軍隊が来ることがわかって、母親が娘に3日間森に隠れるように言う。(多分、17世紀の30年戦争) 
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 ミリーは聖ヨセフ(つまりイエスの養父)のところにかくまわれる。3日が過ぎて家に戻る時、蕾のバラが開いたら、また来ていいよと告げられる。
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 ところが家や周囲の様子が全く違っている。母親も年老いている。30年が過ぎていたのだ。二人は喜びの一晩が明けると、一緒に死んでいるのが発見された。二人のそばのバラが咲いていた。

 ヴィルヘルム・グリム原作/モーリス・センダック絵「ミリー 天使にであった女の子のお話」ほるぷ出版1988 は、1816年に母親を亡くした少女ミリーに励ましの手紙に添えた物語とのこと。150年ぶりに公開されてセンダックが絵をつけたものである。

 さて、不思議なメルヘンである。グリムは、30年ぶりの母娘(娘からみれば3日間)再会の喜びのうちに、一緒に死ぬことにどんな意味をこめたのだろう。これが母を亡くした幼い娘へのなぐさめのようなのである。
 多分、メルヘンと逆に母親が聖ヨセフのもとにいること、そしてきっと会いに来てくれるとの意味だろうか。30年は3日間と同じなのだ。

 まるで、浦島太郎である。かれは故郷に戻っても、知り合いもなくあたりの様子も変わっていた。困った時にと渡された玉手箱を開けると、実際の年齢となって、故郷を認識することができた。アイデンティティを取り戻し、安心して故郷で死ぬことができたのであろう・・・と解釈しておく。実は、今まで乙姫様のした意味が分からなかったのである。

 あるいは、雨月物語の浅茅が宿に似ている。故郷に戻って妻と喜びの再会の夜が明けると残酷な現実が明らかになった。・・・いや、むしろ亡霊となった妻の力で一夜の再会が実現したと見るべきなのだろう。ゴースト・ストーリーとは亡霊が見せてくれる幻影の物語なのだった。

 逆に、娘の帰りを待っていた母親の立場でみると、浅田次郎「鉄道員ぽっぽや」すばる1995年11月 に似てくる。死期のせまった鉄道員のもとへ、赤ん坊の時に死んだ娘が少女になり・・・高校生になって姿を現す。年老いた母親のもとに幼い時に別れた娘がその時の姿で現れる・・・同じ設定だ。

 それよりもアンデルセン「マッチ売りの少女」か。少女は死んで祖母と再会した。ハッピーエンド・・・ではもちろんない。アンデルセンの真意は、このメルヘンを子どもたちに読んでやる母親への黙示にあっただろう。「それで良いのか」と。
 ミリーもまた聖ヨセフへの信仰とともに、たくさんのミリーがいたことを知ったはずである。

 ところで、なぜ聖ヨセフなのか。私としては聖ヨセフが登場する物語というのはこれが初めてのような気がするのである。この物語が遠いゲルマンの伝承に基づいているのならば、30年戦争でもなく、キリスト教でもない。森の奥には老人が住んでいて、困ったものを助けてくれる・・・ゲルマン族の神話があったに違いない。

 
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