加藤典洋「村上春樹論集�◆彈秡霆駛�2006 所収の「ルサンチマンと虚構」に、中上健次に関する批評が取り上げられていた。蓮實重彦「小説から遠く離れて」で、蓮實は、中上健次（昭和２１年〜平成３年）「枯木灘」（昭和５１年）と村上春樹「羊をめぐる冒険」がテーマとする、人が現に生きる場である共同体の取り扱い方の違いを分析し、「枯木」は共同体への猛々しいいらだちが描かれているが、そこから抜け出していることを評価し、対して「羊」では共同体の枠組みの中に留まっているにすぎない、と批判する。
蓮實の分析方法は、説話論的還元というのだそうだが、昔話などを構成している「架空の少数者」、「依頼と代行」、「権力の委譲」、「宝探し」、「双生児など主人公の分身」などの共通の要素をとりだして検討するものである。そして、共同体の表現である説話の体系から、どこが、どれだけ外れているかを見て、現代の小説かどうかを判定するようである。
「枯木」では、主人公の秋幸は実父の浜村龍造のつくっている共同体から抜け出そうとして、売春婦の異母妹と性関係をもち（前作の「岬」）、二人でそれを龍造に言うのだが、父はよくあることと言うばかりであった。
両親が離婚と再婚をくりかえし、父には愛人もあって複雑な家族関係の愛憎が原因で、兄は秋幸を殺そうとするが自殺し、今度は秋幸が弟を殺して「枯木」は終わる。三部作で「地の果て至上の時」（昭和５８年）に続くのだが。
一族は土建業が多く、（小説の中で）路地と呼ばれる未開放部落の住人である。父龍造は建築関係の会社の社長で、蝿の王とあだなされているが、雑賀鉄砲衆で有名な鈴木孫一が先祖であると主張している。
ということで、父浜村龍造が昭和天皇のアナロジーであることは容易に想像がつく。中上は昭和２１年生まれで、私は２０年。同じ時代を生きたので、ここで描かれている共同体へのいらだちは良く分かる。高校生の時だったと思うが、朝日新聞などで日本人であることが恥ずかしいだとか、革命のない日本、ヨーロッパのように王家を処刑したことがない日本の歴史が恥辱だ、などというエッセイを読んだ記憶がある。進歩的文化人の心象だったのであろう。昭和３５年には、深沢七郎「風流夢譚」と嶋中事件が起きている。
昭和天皇が死んだ時、勝ったと言った人もいた。一日でも長く生きる覚悟だったのだそうである。
吉本隆明は、天皇が国民のために祈る、その呪縛が断ち切れないという。つまり、「近代国家」でなく「家父長」天皇の存在が腹立たしいのだ。イギリスも王制であるが、あれは清教徒革命で処刑しているからよいのだろう。
中上三部作はそのような戦後日本の（進歩的文化人の）時代精神を写している。
物語論からずれてしまったが、蓮實によれば、長編小説とは共同体の規範を脱した「他なるもの」との交通、コミニュケーションの装置だとのこと。中上三部作が共同体からの脱出を描けたのかどうか、読解できないが、少なくとも、その中でのたうち回っていることは良く分かるし、昔話や物語のように共同体で完結していないのである。
オイデプス王の場合は、父を殺し母と結婚し、それが暴露された時、自身の目をつぶして荒野をさまようという悲劇であった。この時は共同体の規範が作動し、オイデプスは罰せられたのである。
秋幸の場合、近親相姦は罪にならず共同体（路地）からも指弾されず、ただ殺人罪で３年の懲役刑だった。被害者にも落ち度があったのであるが。「その男ゾルバ」では、息子の自殺の原因となった未亡人をリンチで殺したが、近代国家の共同体は、当然だが罰することができない。
ところで考えてみれば蓮實の説話・物語と長編小説の関係は当たり前のことだった。「赤と黒」のジュリアン・ソレルは身分制社会を見返そうとあせって犯罪者になってしまう。近代小説の主人公は皆そうなのだ。ツルゲーネフ「父と子」は、その教科書みたいである。「ボヴァリー夫人」に「アンナ・カレーニナ」も、武器は浮気だったが夫へのダメージは大きかった。
つまり、当時は、戦いの相手は前近代だったからである。今もそうだ、ということにはならない。生きて動いている共同体がどこにある？・・・今となってはそういいたい。
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