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2012年10月09日13:39

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時代の中で(59)  ファンタジーに生きる

 小川洋子・河合隼雄「生きるとは、自分の物語をつくること」新潮社2008 は、ユング派の臨床心理学者と物語作家との生きるとはどういうことかをめぐる対談である。以前に、マイミクさんの紹介があり、たまたま図書館の棚で見つけたのである。1回目は2005年で、小川「博士の愛した数式」新潮社 が話題の中心で、2回目は2006年で、精神に障害をかかえる患者の悩みと物語との関連をめぐってのものであった。3回目も予定されていたのであるが、河合の死去2007年で実現しなかった。

 河合は若いころ高校の数学教師だったこともあり、「数式」を愛読して、ヒロインの家政婦の一人息子ルート君の名前(あだ名)に注目したとのことである。数学者の博士は記憶障害なのだが、学校に適応できないルート君とは、精神的に「ルーツを同じくする」ものだと指摘する。小川はまったく偶然に見つけた名に、そんな意味があったのかと驚かされる。
 さらに、映画版の最後の方で、博士の姉がヒロインの家政婦に「この道は開いておりますから」と言う場面で、「ルートが開いた」を感じたとのことである。「ルートを開く」には平方根を開くということと、道を開くという両方の意味があったのである。閉ざされていた心が開き、コミニュケーションが成り立ったわけである。

 また、映画の最後では、博士と大人になったルート君がキャッチボールをするのであるが、これも医師と患者との関係がうまくいっていることを現すイメージだったと指摘する。ボールはゼロであり球体であって、完全であることを示す比喩なのである。
 博士が「真実の直線はどこにあるか。それはここにしかない」と言って胸に手をあてる場面で、河合は「無限の直線は線分と1対1で対応する・・・部分は全体と等しくなる」と指摘する。
 このように、前半は小川「数式」の臨床学的分析が中心で、作者の小川も気づいていないところが面白い。

 小川が、臨床心理学とは自分なりの物語を作れない人を、作れるように助けること。小説家が物語を作れない時に悩むのと、人が生き方で悩むのと同じでないかとの問いかけに対し、河合は、来られた人が自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるような場を提供していると答えている。

 患者が治って行く時は「ものすごくうまいこと」が起きているとのことであるが、それは元々あったものに気づくようになるからだ、とのことである。

 患者が、言葉にできないことを「箱庭」を作ることで表現させる。その時セラピストは解釈するのでなく鑑賞するように注意するとのこと。「砂場」とは形を与える場であり、天地創造に匹敵するのだそうである。
・・・それで分かったのだが、ファンタジーにはいろいろなキャラクターがでてくるが、これらは解釈するべきものでなく鑑賞するものなのかもしれない。村上春樹も謎を解こうとして解けないものだから、一部の批評家が腹を立てているに違いない。

 源氏物語も話題になっている。小川は光源氏の存在感は物語が進むにつれて小さくなり、女性を際立たせるための狂言回しになっている、と指摘したのに対し、河合は光をあてる役なんだと応じている。
 これは、私の解釈の、「雨夜の品定」以後は、源氏はいろんなタイプの女性を紹介する役だとのアイディアに一致している。私は最初から狂言回しだと思っているが。
 河合は、源氏物語は多神教だからできたので、一神教では神の創りたもうた物語を生きるしかない、と述べている。14世紀のボッカチオ「デカメロン」はアンチ・キリスト教だと指摘する。
 そして、日本は原罪ではなく、原悲があると指摘する。本居宣長「もののあわれ」とも通じているように見える。

 小川の父は岡山県金光町(浅口市に合併)に本部のある金光教の教師だったとのことで、父は信者の悩み事を黙って聞いていて、話が終わると、今の話を神様に届けておきます、というのだそうである。幼い時に、これなら私でも出来ると思ったと語ると、河合はそれは絶対できません、と断言した。 河合に言わせると、黙って聞いていることができない、その状態で、聴いていると信者に信じさせることは至難の業とのことである。若い臨床心理療法士は、何か助言して患者のではなく自分の物語に引き入れようとする、それで信頼を失うのだそうである。あくまで、患者自身の物語に寄り添わなければならない。しかし、親も子の物語を待てずに押しつけをして事態を悪くさせることがある。

 河合の死で3回目の対談はならず、小川はあとがきで、なぜ書いているのかと悩んでいたが、誰もが物語を作って生きているのだとしたら、なぜ書くのかの問いはなぜ生きるのかという問いに等しい。それに応えるために書いているのだと納得したと述べている。現実とフィクションには強い関連があるという事実に驚いたとのことであった。

 そして、思い出したとのことであるが、ルート君の名は数学用語の中から適当に選んだとばかり思っていたが、そうではなかった。アンネ・フランクの同級生で親友だったジャクリーヌ・ファン・マールセンが「アンネとヨーピー わが友アンネと思春期をともに生きて」文芸春秋1994 の翻訳出版された時、夫とともに来日して、小川がインタビュウーしたとのことである。その夫の名がルートだったのである。ルートさんもユダヤ人でアンネと同じく、家族と離れ支援者の家で隠れて暮らしてたとのこと、その頃の写真はあまりにかわいらしく強く印象付けられていたらしい。つまり、これが「ルート」君の前身だったらしいのである。

 河合隼雄の対談は、前に村上春樹と吉本ばななを読んだことがある。いずれも面白かったが、特に作家の側の理解に役立った。作家たちが心理療法を受けているようなもので、物語の背景が見えるようになったと思う。特に、難解な村上春樹への接近の仕方が分かったような気がしたのである。 
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