柴田勝二「大江健三郎論 地上と彼岸」有精堂1992 は、大江健三郎と政治を考える上で興味深い論考であった。
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「嘔吐」のロカンタンは存在の即自性に気付いたが、なお、社会への投企（政治参加）に進んでいない金利生活者である。一方、「奢り」の主人公は、死者の存在感に圧迫されている、方向の定まらない大学生である。これらの類似性は明白であるが、むしろ大江独自のリリシズムに注目すべきとするのが評論家たちの同時代評であったとのこと（p27）。
著者は以後、イデオロギーや思想で枠づけせず、大江独自の感性に注目しながら論を進めている。・・・大江についてはそのとおりだと思うが、ロカンタンの方は作家になろうとしているのであって、気づくこと、それを書くことが大事なのでないのか。大江との違いと言えば、サルトルの自然嫌いをいうべきでないか。石や根っこをみれば吐き気がする。街の美術館の肖像画を見て吐き気が止まらず（この点では一部同感。紋切り型の挨拶をする人間はバカに見えて仕方がない）、両者がともに即自存在だったと気づくのである。さらに、森が攻めてくるなどとマクベスみたいな幻想に襲われる始末である。
石、木の根に森といえば大江の基本的なモチーフではないか。それに、根っこといえば、大抵は自身の原点の比喩であり、それを失えばデラシネ（根なし草）で、アイデンティティ（自己同一性）を失い、自分探しをせねばならなくなるものだったはず。それを、吐き気がすると否定して見せたのだ。自分がどこから来たかなどはどうでもよい。これからどうするかという「投企」が大事なのである。サルトルが思想における革命家だったことは間違いない。
��大江における政治と性
大江の主人公は政治と性の両方から拒まれた人間だとのこと。痴漢をして取り押さえられた時、はじめて社会とのつながりを感じられるのだとのことである。それはよいとして、そこにカミュ「異邦人」との類似性をみるのは見当はずれでないのか。ムルソーが処刑される時に集まってきたアルジェリア人たちが憎しみの声をあげるのを歓迎するとする最後の場面をいっているのだろうが、これは植民者フランス人と現地アルジェリア人の間の表面だけでなく、深層意識に深く入っている憎しみの連鎖を断つためには、こうするしかないと悟ったから（つまりイエスの教え）に違いないのだ。そのことを描ききったからこそのノーベル賞だったと思う。
�Ｅ傾沈�について
大江は一貫した天皇性反対論者であり、三島由紀夫と対照的であるとされているが、著者はそれほど単純ではないと言う。むしろ両者には共通性が認められるとする（p63）。
大江がいろいろなエッセイや講演で護憲や天皇反対と言っていても、大江の感性（最初に著者が指摘していたもの）が裏切っている。小説「セヴンティーン」で描かれるテロリスト少年の、民主主義への失望の言動は迫真的であり、これを論破することは難しい、とのこと。民主主義の空白を埋めるものは天皇しかいないとは、少年の思いか、大江の思いかまぎらわしいようだ。。
大江の主人公たちは自身の充実を求めるためには、テロ（「われらの時代」にも天皇の車列に爆弾を投げようとして失敗する場面がある）や暴動（万延元年のフットボール）を辞さない。この過激さのゆえんは、段階を踏んで政治の基礎を学んで、政治活動の弟子入りをする、という気が全くないからに違いない。大江の「投企」は、いきなりゼロから革命を起こそうというものである。菅元首相のような市民活動家にも関心がなさそうである。
この点、サルトル「汚れた手」のほうが手順を踏んでいる。これはトロツキー暗殺をモデルにしているらしいが、共産党書記長の秘書になった青年、実は反対派からの刺客は、書記長の人間性に魅かれて手が出せなくなる。しかし、妻が浮気していると疑って暗殺を実行する。つまり、性的な動機からしか政治的行動のできない人間なのだが、そしてこの逆説を大江は学んだのだが、大江の主人公たちよりよほど論理的だと思える。
どうやら大江は政治の実務には全く関心がなく、政治家の日常を知らないようである。
ところで天皇を許せないとするのは左翼だけではない。２．２６事件で有名な歌人、斉藤史もまた同志にして幼馴染を処刑した天皇が許せなかったとのことである。結局、友人たちのとりなしで歌会始の召人を承諾、天皇家と和解し、平成天皇（の代になっていた）に面会したとのことである。
�ず�拠地について
いや、テロでなく村づくりだとギー兄さんは言っているのかもしれない。まるで、宮沢賢治「ポランの広場」みたいに。
しかし、大江の四国、大瀬の森の伝承は、著者が言うにはすべて大江の作ったものであり、この点、中上健次の路地（未開放部落）が実際の伝承に裏打ちされ、中上の愛着する故郷（地元では中上の反対にもかかわらず部落解放の一環と路地を解体したのだが）であり、実際に文化活動も行っている。多分、路地が、生きていく上での（アモラルな）エネルギー源というだけでなく、文化の発信源にもなってほしかったからであろう。
この点、大江には地元での活動と言えるほどのものはない。村づくりは小説の中だけなのだ。出身中学での講演（大江の友人の建築家が小説のイメージをとりこんで設計し改築された観光資源？）も、地元から、国旗国歌のことについては発言を控えてほしいという要請をうけ、不愉快なものだったようだ。小説とは違って、心理的に地元にいられる状態ではないのである。
サルトルならはじめから故郷などにこだわらないに違いないのだが。
日本における官民一体の農村振興運動は明治以来現在まで（二宮尊徳の影響かもしれないが）何度も繰り返されている。明治の「町村是運動」（町村の経済的自立運動）などもそうで、その中で作られた会社にグンゼ（郡是）製糸がある。最近では大分に始まる「一村一品」運動が有名で、海外からも視察が来たようである。
著者の大江健三郎像は、愛憎ともに深いアンビヴァレントをはらむ小説家というものだが、それを比類ない感性による詩的言語でつないでゆくことで、かえって大きな効果をあげている、ということだろうか。
そういえば、イーハトヴの宮沢賢治も、岩手とりわけ故郷花巻を嫌っていたらしい。アンヴィヴァレントはよくあること。そこに現実でなくてもヴァーチャルでも理想を描けるかどうかで文学の価値が決まるのかもしれない。
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