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2012年05月01日07:22

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ファンタジーの往還(1)  私の中に猫がすむ

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 スパイク・ジョーンズ監督「かいじゅうたちのいるところ」2009年 は、少年の心の中の野性と甘えん坊の共存を描いたものと思われた。・・・早い話が猫だ。
 仕事に忙しい母、高校生ぐらいの姉に相手にしてもらえない八歳のマックスが、母のボーイフレンドの前で反抗して家から逃げ出し、小舟で怪獣たちの住む島に行く。そこでは、キャロルという怪獣が他の怪獣たちの小屋を、皆で手伝えと叫びながら壊していた。面白そうでマックスも壊すのだが、せっかく作ったのに、俺の小屋・・・とこぼされる。
 という、いきなり訳の分からない状況であった。段々分かってくるのだが、キャロルに言わせると、元々怪獣たちは重なり合って寝ていた。ところが、別々の小屋を作るようになり、それが原因で(と思い込んでいるのだが)恋人のKWが群れから出て行ってしまった。だから小屋を壊さねばならない。皆、手伝え、というなんとも自分勝手な理屈である。
 怪獣たちは力が強く、乱暴なことをしてもけがをしない頑丈な体なのだが、意外や、心が傷つきやすく神経質で、キャロルも洞窟の中で皆が一緒に暮らせる村の箱庭を作っていたり、せっかく帰ってきたKWがふざけていて自分の顔をふんづけたと言うので、また喧嘩になってしまう。
 マックスが提案して、本当の大きな家を作るのだが、また、別々の部屋に分けなければならなかったりする。実は、マックス自身雪でかまくらを作り隠れ家にしていたのだが、姉のボーイフレンドがふざけてかまくらに飛び乗って壊してしまっていたのだった。だから、この大きな家はマックス本人の願望で、・・・ということはこの恋人や仲間と始終衝突しては恋しがる怪獣キャロルはマックスなのであろう。
 怪獣たちの仲は元のもくあみとなり、マックスは家に帰ることとして小舟に乗る。怪獣たち全員が浜に集まり、マックスと心を合わせ、アウォーン、アウォーンと遠吠えを交わす。
 原作はもちろん、センダックの絵本 原題where the wild things are 1976年である。当然であるが、絵本の方はもっと簡単なストーリーで、映画(実写)は本筋を生かしながらかなり膨らませている。
 これを見て、ジャック・ロンドン「荒野の呼び声」1903 を思い出した。原題は the call of the wild であり、訳者は、荒野でなく野性が正しいと書いていたと覚えている。今は、その訳もあるようであるが。
 これにならえば、「かいじゅうたち」でなく、「野性たち」が著者の意図に近いのではなかろうか。野性たちは絶海の孤島に住んでいるというより、我々の心の中の「離れ小島」にいて、さみしいにつけ傷つくにつけ、騒ぎ立てるのであった。こどもと大人と共通している心を顕すのが、すぐれた絵本に違いない。
  
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