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2012年01月30日08:46

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時代の中で(24)  新しい神話は台所から

 吉本ばなな「キッチン」1988年、「満月ーキッチン2」を、吉本ばなな自選選集3(death デス)で読んだ。選集は4巻本で他は、オカルト、ラブ、ライフである。「キッチン」はデスに分類されているが、ライフの始まりと読めるのではないか。今や、ライフは自明のことではないのだった。
 まず、「私はこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」と、主人公みかげのもの思いから始まり、次のページで「田辺家に拾われる前は、毎日台所で眠っていた。」・・・はあ?、となって、両親他の血縁が祖母だけの状態になったと説明した後、「先日、なんと祖母が死んでしまった。びっくりした。」に至る。
 と、ここまで読めば、主人公がなぜ台所で寝るようになったのかが了解される。一人投げ出された少女、この時点で学生の避難所(ラスト リゾート)だったわけである。
 茫然としていたみかげは、祖母と親しく葬儀も手伝った田辺雄一の家の台所にとりあえず住むことになった。雄一は母と二人暮らしなのだが、この母えり子というのは本来は父であって、妻の死にショックを受けて、性転換して女に、つまり、雄一の母になってしまったのである。これは、フェテシズムというのでなく、息子にとって母が必要だという直情からきているようである。普通ならば再婚して新しい母を連れてくるところだが。
 最後の場面でえり子がみかげに言う。「本当にひとり立ちしたい人は、なにかを育てるといいのよね。・・・そうすると、自分の限界が分かるのよ。そこからがはじまりなのよ。」と。つまり、この小説のライトモチーフである。
 台所だの性転換など、破天荒な状況であるが、もともと、みかげは料理が好きだったのであろうし、えり子さんは子供を育てたかったのだ。一人ぼっちになった時、この深層意識にしたがって行動したのに違いない。
 斉藤美奈子「文壇アイドル論」岩波書店2002年 では、吉本ばななを「ラジカルな文体とコンサバな物語」であり、「おんな子供の国から来たエイリアン」と皮肉っている。確かに、新しいようで、よく読めば古いテーマである。しかし、生きて死ぬのは、人類の終わりまでのテーマなのだ。
 「満月」では、みかげは田辺家を出て調理師になるための修行中である。ところが、えり子さんがストーカーに殺され雄一も一人ぼっちになる。みかげはそのことを知らされないで、すべてが終わってから雄一から遠慮がちに教えられ腹を立てる。雄一のほうが、みかげの時より危機的精神状態に陥ったのである。みかげは師匠について出張せねばならなくなったが、出張先の伊豆でおいしいカツ丼をみつけ、それを持って夜中に雄一のところへタクシーで駆けつける。
 まず最初に思い出すのは「マッチ売りの少女」であったが、みかげや雄一は生きるほうを選んだ。次は、バーネット「秘密の花園」。ここでは孤児になった少女と、父から放置されていた少年が、母の急死の後荒れ果てた花園を回復することで立ち直る物語であった。確かに「キッチン」に似ている。児童文学の古典の系譜にあるのだからコンサバかもしれないがエイリアンではない。
 もう一つは、料理物語ということで、雁屋哲・花咲アキラ「美味しんぼ」1983〜を思い出した。これも癒しの物語が多い。それに映画「バベットの晩餐会」が1987年に公開されている。これは、フランス革命当時、ゴリゴリのプロテスタントたちを女中に落ちぶれた名シェフが料理の力で癒すストーリーだった。
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