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2012年01月18日10:45

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時代の中で(21)  文学のふるさと

 坂口安吾は短い評論「文学のふるさと」昭和16年 で、「モラルがないこと自体がモラルであると同じように、救いがないこと自体が救いであります。」と述べ、これが「文学のふるさと、人間のふるさと」であると規定している。
 その例として安吾は、ペローの赤頭巾、狂言の鬼瓦、それに芥川龍之介のノートにあったという文章を紹介している。
 赤頭巾は今更説明するまでもないのだが、気になるのは、なぜグリムでないのだろうか、ということである。アモラル(モラル以前の本然の姿とでもいうのか)だと安吾はいうが、ペローには教訓がついているのである。まあ、よくあることだが(私は特に)読み返さずに書いたのだろう。
 鬼瓦は都へ来た田舎大名が寺の大屋根の鬼がわらを見て、田舎の女房を思い出し、恋しくて泣きだすというものである。なんという純愛と思うが、多分田舎者を笑い物にしたものと思うが、安吾は笑わざるをえないが突き放された気分になる、これもアモラルと規定する。
 最後の芥川の多分最晩年の文章というのは、ある無名の農民作家が芥川のところへやってきて、生まれた子供を育てられないので殺して石油缶にいれて埋める、という小説を示した。芥川は茫然として、こんなことがあるのかと問うと、農民作家は自分のやったことだ、悪いと思うか、と述べたとのことである。原典にあたれないので、これが事実なのか創作ノートなのか判断できない。それに、もし事実なら農民作家はその小説とはこれだと示しそうなものだと思うのだが。
 それはともかく、似た話がある。柳田国男「山の人生」大正15年10月の冒頭に、食べ物がなくなり飢えた炭焼きが家に帰ると、男の子と女の子が斧を研いでいる。そして、これで首を切って楽にしてくれと言ったというのである。男は真っ赤な夕焼けに(カミュの異邦人を思わせる)魅入られたようになって子どもたちの首を落とし、自分も死のうとしたが死ねずに自首して出た、というものである。これは、30年ほど前のことだそうであるが、書記官長の立場で大審院の裁判記録から探したものと、どこかで読んだ記憶がある。
 そして、これを友人の田山花袋に紹介して小説にしないかと勧めたが、花袋はそんな極端な話は小説にならない、と断り、柳田は日常雑事の私小説はだめだと烙印を押したとのこと、どこで読んだか分からない。探すのが億劫なので。
 つまり、安吾ならば花袋と違って柳田も満足しただろうと思う。それに、この話はグリムの「ヘンゼルとグレーテル」にそっくりである。グリムでは魔法使いのおばあさんに逆襲して、金持ちになったとのことだが、多分、事実は殺されたのだろう。
 安吾はこれだけでは文学にならないが、ここから出発したものでなければ文学ではないと断言する。
 安吾がこの短文を書いた昭和16年は、昨日読んだ椎名鱗三が小説家になろうとしたころである。椎名は実存主義小説家として、外国の思想家が根拠になっていると紹介されることが多いが、この文章は椎名の小説を説明していると思う。
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