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2011年08月29日08:06

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時代の中で(5)  時代の精神と「こころ」

 大江健三郎「水死」講談社2009 は、終戦時の父親の水死の謎を、作家になった息子(小説では長江古義人)が小説にしようとする過程を描いた小説である。父親は愛媛県内子町の谷間の村で道場を開く国粋主義者であったが、終戦に反対してクーデターを起こそうとして谷川を下るために短艇にのり、転覆水死したとされていた。作家の古義人(コギト、すなわちコギト・エルゴ・スム われ思う故に我ありの、われ思う)は、その時10歳で父の出撃に協力したのだが、自分は岸に泳ぎ着き生き残ったという。長じて戦後民主主義のオピニオンリーダー(小説の中では、教条主義的なと自嘲している)となったコギトは、父は何を考えていたのかを知りたかったのだが、70歳を過ぎてやっと、父の遺品のはいった「赤皮のトランク」を母と妹から譲られることとなった。
 物語の前半は、故郷の谷で、妹やコギトの作品を演劇化しようとする穴井やうないこに小説家としての自身を語りながら構想を練ろうとするのだが、トランクの中には何も入っていなかったことを発見し、母の残したテープで父は出撃しようとしたのでなく逃げようとしていたのだと知らされて小説化をあきらめる、というものである。
 後半は、漱石の「こころ」をモチーフにした、うないこの演劇に協力しようとする過程が描かれる。その中で、父親の道場の弟子だった人物が現れ、先生は、爆弾を積んだ飛行機を皇居に突入させるという案を作ったが、村の古い遺跡や伝承地をこわして飛行機の発着場にしようとしたことに猛反対したこと。天皇を殺そうとしたのはフレイザーの「金枝篇」に影響されてのことだったこと、自身は殉死するつもりだったことを知らされる。
 一方、うないこの演劇は、村の伝承にある一揆をテーマにしたものであったが、そこに強姦の場面を入れて高校生を含めた観客と対話するというものであった。それを知って、うないこを少女のころ世話をしていた伯父が現れ、うないこを監禁する。高級官僚になっていた伯父はうないこを強姦し、妊娠中絶させていたのであり、それが暴露されることを恐れたのである。
 結局、コギトの父親の弟子だった人物が、うないこの伯父を射殺して自身は水死する。先生、つまりコギトの父に殉じたのである。
 これだけでも複雑だが、母とコギトの対話文を刻んだ石碑、謎のような「(母)コギーを森に上らせる支度もせず/川流れのように帰って来ない。/(コギト返して)雨の降らない季節の東京で、/老年から 幼年時まで/逆さまに 思い出している。」は、物語を動かす動因であるし、障害児の作曲家あかりの問題、天皇制反対・戦後民主主義堅持とイデオロギーをこえた民俗学が追求する価値観との相克など、重要なテーマ・モチーフがつめこまれて、一読では分からない状況であった。
 しかし、大江健三郎が自身の創作活動を原点の父の死にさかのぼり、障害児の誕生を経て老年にいたる過程を、全体として描こうとしたことは理解できた。うないこの問題など中途半端で終わったモチーフもあるのだが。
 人それぞれ「こころ」に問いかけよ、それが真のテーマだったのかもしれない。
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