mixiユーザー(id:34218852)

2011年04月24日11:44

53 view

小説の中の謎(81)  少年少女の社会小説

 カニグズバーグ「魔女ジェニファーとわたし」、「Tバック戦争」など、カニグズバーグは少年少女向けの社会小説の作家だと考えられる。
 「魔女」の方は、転校したばかりで友達のいないわたしは、魔女と称する黒人の少女に見習いとして弟子入りすることになった。魔女と信じた原因は、わたしのことをなんでも知っていたこと、そのうえ、思いがけない知識や道具を持っていたことにあった。修行の最終段階は空を飛ぶ魔法の薬を作ることであった。ジェニファーは普通には手に入らない薬草を持ってきて煮込むのであるが、最後にヒキガエルを鍋の中に入れようとする。わたしは、かわいいヒキガエルを殺さないでと叫んで、魔女になることに失敗する。
 社会小説というのは、学校でのいじめやしかとと言う無視の態度などが背景にあり、ジェニファーは図書館での読書や庭師の父親からの知識を吸収することで対抗し、孤高を保っていたのだが、その時に、同じくしかとされるわたしが転校してきたことにより、魔女仲間にしようとしたのである。結局、魔女ごっこはヒキガエルをきっかけとして終わり、二人は普通の友達となる。魔女でなくても、ジェニファーは魅力的な子であったのだ。ところで、カニグズバーグは芥川龍之介「杜子春」を読んでいたのだろうか。魔女を仙人と置き換えれば同じ展開である。
 「Tバック」の方は、もとヒッピーで移動弁当販売車の販売員の伯母に預けられた少女が、そこでおきる騒動から社会のなかで生きていくことを学ぶ過程が描かれている。Tバックとは背中がほとんど裸状態のシャツであるが、オーナーはこれを販売員に着せることで、売り上げを伸ばそうとする作戦を立てたのである。このオーナーも伯母のヒッピー仲間だった人であるが、伯母だけは断固としてその作戦にのらなかった。
 また、地元の教会はその服装に反対して運動を起こすのであるが、これにも伯母は加わらず、個人の自由を主張するのである。
 これを読むと、個人の自由を大事にしているはずのアメリカも、いろいろな運動の集合体の中では、全体の目的が優先されること、それは、ヒッピー運動でも同様だったことが分かってくる。
 社会小説というと貧困や差別、戦争など深刻な事態を背景にしているものと思っていたが、カニグズバーグは、それらのテーマを日常の中に取り込んで物語にしている。「Tバック」は、深刻というよりユーモラスでさえある。社会小説の一つの行き方ではなかろうか。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2011年04月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930