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2011年04月23日08:44

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小説の中の謎(80)  気違いと言われて

 きだみのる「気違い部落周游紀行」冨山房百科文庫1981(世界掲載1946、単行本吾妻書房1948)、「にっぽん部落」岩波新書1967 は、社会学者が東京近郊山村に疎開して住んでいたときに、農業、林業だけでなく多くの仕事で生活している集落の人々の生活を観察し、これをデータとして日本人論を展開したものである。
 この人が「ファーブル昆虫記」の共訳者の一人山田吉彦だと気づいたのはだいぶ後だった。また、幼い娘をつれた旅行記の、当の娘が、三好京三「子育てごっこ」の養女で、三好に暴行されたと訴えて週刊誌をにぎわせた、というように、大学に居るような学者ではなかった。
 この本は、日本人の原型である日本農村が、構成員の平等、全会一致、決められたことは必ず守る、十戒のような簡単な戒律、というような伝統的規範で生活していることを都市社会に知らしめたものである。戦後しばらく、農村民主化がとなえられていた。日本の民主化の足をひっぱているというのであるが、きだみのるは、農村の方がよほど民主的であること、しかもこの原理が企業や政党にも及んでいることを証明したのである。
 農村、特に稲作こそ日本社会の原点であること、しかもプラスの意味でというのは、いまでは定説になっていると思う。
 ところで、それがなぜ「気違い」なのか。これを読んで、この部落の人々を気違いと思うかもしれないが、それは鏡に映った自分の姿であると思うべし。というような強烈な印象を与えるためだというのであるが、部落の人々は当然立腹し、きだみのるはそこに居られなくなったのである。柳田國男なら「外国にいる人へ」とでもいうところで、まったく配慮がなっていない。
 しかも、「紀行」のほうは、登場人物を・・・英雄などと呼んでいる。神話世界を連想させようとしたのかもしれないが、部落の人々にはからかわれているとしか見えなかったに違いない。
 型破りで迷惑で、日本人ばなれの人であるが、このように、村八分が当然の人も必要なのだ。
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