ベストセラー・コミックを映画化した『鋼の錬金術師』を見て来ました。
昨今の、日本の漫画の実写映画化作品に成功事例などないというのが映画ファンの中で定説化しており、この映画もその域を出ていません。
原作では日本人ではない登場人物を日本人が金髪などで演じ、ヨーロッパを意識した街並みはイタリアでロケをするなど、チグハグさは確信犯的です。
同じパターンを日本人俳優&海外ロケでやった『テルマエ・ロマエ』にはギャク的要素の割合が大きかったので、何とか受け入れられたのですが(阿部寛の好演もあった)、本作にはそれがありません。
【物語】
魔法と科学が合体したような”錬金術”が実在し、強力な錬金術師は軍に属しているという世界。
幼い2人の兄弟が、死んだ母を蘇らせようとして試みた錬金術が失敗し、弟は体を失い、兄は手足を失った。
それから十数年後。高度な技を使う錬金術師となった兄エド(山田涼介)と、鋼鉄の鎧に魂を宿らせた弟アル(声:水石亜飛夢)は、強大な力を持つという”賢者の石”を求めて旅をしていた。軍の上司であるマスタング大佐(ディーン・フジオカ)から紹介され、生物”キメラ”を生み出す力を持つ錬金術師・タッカー(大泉洋)と出会った兄弟は、タッカーの驚異の実験を目の当たりにする。
…いつも言っていることですが、日本映画の悪い癖に、「回想シーンに浸る主人公」「バトル中に敵と心を通わす/内省に陥る主人公」「自己嫌悪に陥る主人公」があります。
それらのすべてがこの映画にはあります。
主人公は、幼い日の行動によって自らの手足と弟の体を失ったことをトラウマのように感じており、頻繁に内省状態に突入。そのたびにストーリーは中断し、自己嫌悪と反省を繰り返し、敵はその隙にどんどん増長していきます。
そもそも、最高度の術を持つはずの主人公よりも、脇にいる大佐=ディーン・フジオカの方が活躍シーンと見せ場が多いという構造的欠陥が致命的に痛い。ラストまで、そこに主人公がいるということを忘れてしまいます。
救いは大泉洋の怪演と、悪玉のボス=松雪泰子の妖艶さ。この2点のおかげで何とか見ていられる映画となっています。
★★。もう2017年の新作映画鑑賞は締めたので、来年に繰り越しますが、とんでもない映画もあったものです。
ログインしてコメントを確認・投稿する