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2017年01月26日23:57

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篠田版との違い スコセッシ監督版『沈黙』

マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の同名小説を映画化した『沈黙 サイレンス』を見て来ました。

つい先日、篠田正浩監督による同原作の日本映画版『沈黙 SILENCE』(1971)を見たばかりで、新旧・日米による両作品の比較ができました。


※以下、作品の内容に深く触れている記述があります。映画を未読の方はご注意下さい。


今回のスコセッシ版の、篠田版との大きな違いは以下の通りです。

●物語は、主人公のイエズス会の修道士2人がマカオでフェレイラ神父の行方不明を聞かされるところから始まる。篠田版は修道士たちが日本に上陸するところから。

→マカオで修道士たちと案内役のキチジローが出会うところも丁寧に描かれています。その後のキチジローの性格描写には必要なシーンです。

●篠田版で主人公の修道士を取り調べる井上筑後守は、かつてキリシタンであったが、スコセッシ版ではそうではない(少なくともキリシタンであった過去の描写はなし)。

→そのため、スコセッシ版の井上筑守は、キリスト教の教義になぜそこまで詳しいかは不明瞭に。

●主人公の修道士ロドリゴは、穴吊りの拷問を受ける前に棄教する。篠田版では拷問を受ける。

→スコセッシ版では、棄教して日本人となったフェレイラ神父に諭される形で棄教しています。

●ロドリゴの死までが描かれる。篠田版では、ロドリゴが棄教し、長崎貿易に携わる短いシーンのあと、エンドマーク。

→ここが最も大きく異なる点で、スコセッシ版では、棄教を表明してもキリスト教徒であり続けたロドリゴの思いが示唆されるのに対し、篠田版では、心底棄教してしまったかのような印象を受けます。この点は、やはりアメリカ人監督らしさが出ていると言えます。


…乾いた空気感と陰湿な日本人描写が印象的だった篠田版と比べ、台湾ロケもあってか、原色ゆたかな色彩と音の洪水がスコセッシ版の特徴。音楽を極力排し、自然の音(特に雨音)を効果的に演出したスコセッシ版も見事でした。

いずれも甲乙つけがたい2作品です。

篠田版にはフェレイラ神父=丹波哲郎、スコセッシ版の筑後守=イッセー尾形という強烈な俳優が出ているのも素晴らしく、特に今回のイッセー尾形は、LA批評家協会賞の男優賞にノミネートされるという快挙でした。終始笑顔の温厚な老政治家で、キリシタンへの激しい弾圧はあくまで仕事の一部であるという、ビジネスライクな所が怖かったです。

片桐はいりや加瀬亮といった中堅俳優が出ているのにも注目です。

40年前の篠田版も今回のスコセッシ版も、両作品ともに今見ても充分に受け入れられる映画であるということは、時代も問題も変わってはいないということなのでしょう。

★★★★。
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