新春最初の続いての映画は、対照的な2本でした。
●『素晴らしき哉、人生!』 (1946年アメリカ) 「午前十時の映画祭」
久しぶりの「午前十時の映画祭」でした。
全編通してスクリーンで見るのは初めての、フランク・キャプラ監督の名作中の名作です。
今見ると、映画全体を通しての構成にはいびつな点もあり(ジェームズ・スチュワートの主人公が天使に「自分のいなかった世界」を見せられる山場がやや唐突で、現実世界に帰った瞬間に達観してしまう、など)、本当の現実の厳しさを知る者が見ると甘口に感じてしまうのでしょうが、ファンタジーとして非常に優れた映画であることに異論はありません。
スチュワートもドナ・リードも素敵ですが、悪役ポッター氏を演じたライオネル・バリモアがやはり強烈。そのラストが描かれなかったのはフランク・キャプラ監督の優しさでしょう(まったく優しさのないブラックすぎるコメディ『毒薬と老嬢』も撮ってますが…)。
デジタル・リマスターによるモノクロ映像が非常に美しい映画です。★★★。
…『素晴らしき…』が生きることの素晴らしさを高らかに説いた映画であるなら、同日に見た山田洋次監督の『母と暮らせば』は積極的な死を描いた怖い作品でした。
●『母と暮らせば』
長崎の原爆投下で死んだ息子(二宮和也)が幽霊となって母親(吉永小百合)の前に現れるという、これも一種のファンタジーです。
死んだ人間が生者の前に現れるという題材は古くからあり(原爆を扱った作品にも類似したテーマの作品があります)、近作で強烈だったのは「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」ですが、いくつかのルール…生者は死者に触れない、死者は特定の人物にしか見えない、等…は共通のものでした。
山田洋次監督の近作の反戦映画『小さいおうち』『母べえ』でも見られた、あえてセット撮影と分かる撮影技法や、CGによる特殊効果は、本作ではピークに達しています。特にCGはふんだんに用いられ、これには戸惑いました。
長崎の原爆慰霊碑のもとに何千人もの人びとが集まり、合唱するシーンは恐怖です。★★★。
黒澤明や宮崎駿、山田洋次監督などは、ある境地に達すると、自身の作品に強く死生観を反映させているように感じます。正月からうすら寒いような気持になった2本立てでした(それとは無関係に好きな映画を撮り続けた、市川崑やヒッチコックは凄いというか、やはり異質です)。
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