夏石番矢編「俳句 百年の問い」講談社学術文庫1995 所収
篠原鳳作(1906―36昭和11年)
篠原は機械力の支配する現代の都市生活者は自身の身の回りを詠むべきであって、季語に規制されるべきではないと主張する。たいていの季語はすたれかかった伝統的生活か農村・田園の方を向いているわけで、勤務先のビルや便利なアパート住まいから生まれたものではない。
ダメな例句として、水原 秋桜子が馬酔木賞入選句とした山口草堂「かじかめる手のいつしんに藺を植うる」をあげている。
草堂は大阪生まれで、早稲田大学を卒業したのち大坂に住んだ人であって、この句は真冬にイグサを植える農家を見て詠んだもの。
もう一つは、米沢吾亦紅「初燕田を焼く煙今日もあり」
吾亦紅は長崎市生まれで九州帝大を卒業して日立造船などに勤務し、別の造船会社の社長になった人。
いずれも都市に生まれて、大中都市で暮らした人だが、自身の生活ではなく、農村や郊外を吟行しての観察・写生句なのだろう。
篠原鳳作の代表作(無季)
「しんしんと肺碧きまで海のたび」
「セロ弾けば月の光のうづたかし」
篠原のあげる都会俳句
小橋鷹人「鉄骨の奈落に捨し日がたぎる」
杉山昇貴緒「クレーンにあやつられつつ漢生く」などがある。
で、都市生活俳句を探してみた。
「東京ラプソディー」1936昭和11
作詞:門田 ゆたか 作曲:古賀 政男 は東京賛歌に違いない。
「花咲き花散る宵も
銀座の柳の下で
待つは君ひとり 君ひとり
逢えば行く ティールーム
楽し都 恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京」
この歌謡曲に匹敵するような都市生活を肯定的にとらえた俳句があるだろうか?
山口誓子「夏草に機関車の車輪来て止まる」1933昭和8
・・・純粋なリアリズムだが、鉄の塊と夏草を並べてシュール・リアリズムの法則(解剖台の上にミシンと傘の偶然の出会い)にもかなっている。
石田波郷「バスを待ち大路の春をうたがはず」昭和14
・・・東京への期待にあふれている。高度成長期の集団就職も不安と期待に満ちていたはず。
中村草田男「万緑の中や吾子の歯生えそむる」1940昭和15
「葡萄食ふ一語一語の如くにて」1947昭和22
高浜虚子「茎右往左往菓子器のさくらんぼ」1947昭和22
橋本多佳子「星空へ店より林檎あふれをり」1949昭和24年
・・・家族・家庭のしあわせ俳句。
杉田久女「朝顔や濁りそめたる市(まち)の空」昭和27(小倉市?大正時代)
・・・工業地帯の大中都市の夜明け。公害が喧伝される以前は煙突の煙がサラリーマンの給料を保証していたわけで、安心できたようだ。
久保田万太郎「神田川祭の中をながれけり」昭和27
「時計屋の時計春の夜どれがほんと」
「石蹴りの子に道きくや一葉忌」
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」昭和38
森 澄雄「チェホフを読むやしぐるる河明かり」1954昭和29
「ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに」昭和52
・・・奇をてらわない自然俳句。チェホフは陰りもみせたが、破壊的な事態ではない。
安住 敦「しぐるゝや駅に西口東口」1957昭和32
・・・大都市の駅の地下通路。
金子兜太「銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく」昭和36
・・・作者自身が日本銀行のエリートだったが、皮肉な目で同僚を観察していたようだ。
藤田湘子「月下の猫ひらりと明日は寒からむ」昭和37
・・・萩原朔太郎の猫。漱石の猫は屋根に上がったりしなかったと思う。
草間時雄「運動会授乳の母をはづかしがる」1965昭和40
・・・中学生かな?
阿部完市「少年来る無心に充分に刺すために」昭和44
・・・生意気盛りの反抗期の少年。著者自身の回想かも。
有馬朗人「初夏に開く郵便切手ほどの窓」昭和47
「烏瓜もてばモジリアニイの女」々
鷹羽狩行「摩天楼より新緑がパセリほど」昭和47
「大言海割つて字を出す稿始め」昭和49
・・・摩天楼のパセリは解剖台の上のような危機意識はない。おしゃれ。
飯島晴子「泉の底に一本の匙夏了る」1972昭和47
「月光の像番にならぬかといふ」1980昭和55
・・・童話的であり、2番目はアンデルセン「絵のない絵本」風。
後藤比奈夫「法善寺横丁をゆく足袋白く」1973昭和48
・・・法善寺横丁は歌謡曲とか映画「夫婦善哉」の舞台になった。
「東山回して鉾を回しけり」1982昭和57
・・・確かに祇園祭の鉾を回すのは大変だと思う。
澤木欣一「氷上に夫婦の旅嚢(りょのう 旅行用の袋)一個置く」昭和48
・・・昔、新聞の投書俳句で「雪に置く郵袋一つ余呉の駅」を見て感心した。それで機会を見て、途中下車して余呉の駅まで行ったことがある。琵琶湖の北の余呉の湖には、古戦場「賤ケ岳」の影が落ちて薄暗く寒気がした。
林田紀音夫「秋終わる少女が描く円の中」昭和53
・・・少女は円満な幸せを望んでいるのだろう。今のウーマン・リブでは差別になってしまうが。
田中裕明「大学も葵祭のきのふけふ」昭和54
・・・大学紛争も収まって平和な大学が戻ってきた。
西川徹郎「遠野市という一筋の静脈を過ぎる」1980昭和55
・・・まあ、東北本線に比べれば静脈だろうが、花巻から三陸海岸とつなぐ必須の鉄道でもある。宮沢賢治「銀河鉄道」のモデルとされている。
角川春樹「火はわが胸中にあり寒椿」昭和56
大西泰世「火柱の中にわたしの駅がある」昭和58
・・・この二つは呼応している。
木下夕爾「春昼のすぐに鳴りやむオルゴール」1982昭和57
「噴水にひろごりやまず鰯雲」々
・・・広島県福山市の薬局店主だった。
大木あまり「花ざくろピカソ嫌ひは肉嫌ひ」1985昭和60
・・・なんとなく納得。青の時代はともかく、後は肉食系だった。
岸本尚毅「鳥帰るテレビに故人映りつつ」昭和61
・・・有名人がいなくなる。鳥もいなくなる。
皆吉司「地下街に円柱あまたあり盛夏」1990平成2
・・・地下街はローマの遺跡のようだ。季節は夏しかない。
「空港に冬の夜空が降りて来し」々
・・・飛行機が夜空を運んでくる。
黒田杏子「能面のくだけて月の港かな」平成5
・・・月の拡大写真は、能面が砕けてできたらしい。
「東京ラプソディー」のように東京を謳歌するような俳句はあまりないようだ。
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