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2022年06月13日07:48

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戦略論12〜戦略研究の哲学的な課題

●戦略研究の哲学的な課題

 ルトワックは、「逆説的論理」を、より一般的に「戦略の論理」とも言っている。もしそう言うのがふさわしければ、逆説というより法則となる。だが、逆説的な現象が法則性を持つかどうかは、常に客観性と再現性をもって現れるかどうかによって判断されねばならない。その点の検証には、人類の歴史における過去のあらゆる戦争をAIを使って科学的に分析する研究が必要だろう。
 それはさておき、「逆説的論理」は、なぜ現れるのか。この問いの答えを求めるには、単に社会的な現象の分析にとどまらず、すべての物事の根本にかかわる哲学的な考察が必要となる。というのは、ルトワックが「逆説的論理」と呼んでいるものは、人間社会の現象だけではなく、自然の動きにも類似した現象を見出すことができるからである。
 この点で示唆に富んでいるのが、シナ文明を代表する文書の一つ、『易経』である。『易経』は、西洋文明とは全く異なる世界観に立ち、自然界・人間界のすべての物事を陰陽という概念でとらえる。陰陽は相補的な概念であり、両極性ともいえる。陰が極まって陽に転じ、陰が極まって陽に転じるとする。物事は一方的に進むのではなく、一定のところで逆転や反復が起こるというとらえ方である。昼と夜の交代、季節の変化、生と死の再現等の観察から経験的に把握した、一種の循環の論理と言える。
 『易経』繋辞上伝に「一陰一陽これを道という」とある。その大意は「あるいは陰となり、あるいは陽となって無窮の変化を繰り返す働き、これを道という」である。道(タオ tao またはダオ dao)とは、物事の根源・本体であり、法則・真理であり、また道徳の根拠でもある。『易経』は、物事を無窮の変化の相でとらえることから、英語では「変化の書(Book of Change)」と表題を訳す。だが、とめどない変化と見える現象を陰陽の動きととらえ、さらに根本的な概念である道の働きととらえるところに『易経』の思想の中心がある。
 『易経』は、儒教においても道教においても重要視された聖典であり、シナ文明・日本文明の戦略思想にも大きな影響を与えてきた。特に『孫子』への影響が指摘されている。『孫子』については、後の項目で主題的に取り上げるが、その内容を理解するには、『易経』の世界観に親しむことが欠かせない。
 西洋文明では、対立と闘争の論理を解明し、分析を通じて総合を行う方法として、弁証法的な思考が発達した。これに対し、シナ文明では、循環と調和の理法を観察し、直感と合一によって道を極める試みがされてきた。前者の文明では、力による闘争を通じて勝利を目指す。だが、後者の文明では、道の徳を体して、無為にして通じ、「戦わずして勝つ」ことを理想とする。「戦わずして勝つ」という『孫子』の理想は、自然界・人間界のすべての物事をその根源から統一的にとらえるシナ文明独自の思想に基づくものである。ルトワックをはじめ欧米の戦略家、軍事研究者で、『易経』の世界観に通じ、そこから『孫子』やシナ文明・日本文明の戦略思想を理解できている者は、見当たらない。
 ルトワックのいう「逆説的論理」は、諸文明における戦争においても働き、文明間の戦争においても働く。その論理がなぜ発現するか、戦略の研究家たちは未だその機構を解明できていない。私は、その機構の解明において、『易経』は西洋的かつ近代的な思考とは異なる見方を知るために必読の書であることを一言、ここに記しておきたい。
 ところで、『易経』は、本来の性格から言うと哲学書ではない。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といわれる卜占の書である。古代の諸文明では、為政者は亀甲や星等を用いて占いを行って政策を決定した。とりわけ戦争に占いは、つきものだった。占いによって、戦いの日時を決めたり、作戦行動に係る方角を決めたりした。占いは、神・仏・霊・天等の超越的なものの意思を知る方法として発達した。超越的なものの意思に従うことが、戦争で勝利を得るために欠かせないことと信じられてきた。また、占いは自然の動き、天の運行を知り、その運動に応じて進むための方法としても発達した。エジプト、メソポタミア、インド等の文明にこうした例を見ることができる。シナ文明では、卜占の技術が『易経』を中心として発達した。それが軍事学と結びついて、戦略思想の発達に寄与している。
 現代の人間も「幸運の女神がほほ笑む」「運命の女神に見放される」などと言う。これらは、運命を擬人化した古代ギリシャ=ローマ文明の信仰に基づく言葉である。また「勝負は時の運」とも言う。勝敗を伴うことには、運というものがあることを多くの人は経験的に感じている。運は、非合理的なものだが、ある種の法則性が感じられる事柄である。運を引き寄せたり、運をつかんだり、運気の勢いに乗ることが、勝敗を左右する。運の強い人間と運の弱い人間がおり、優れた指導者や経営者には、強運の持ち主が多い。
 とりわけ国家の興亡と兵士の生死をかけた戦争を指導する指揮官には、合理的な技術や経験的な知識だけではなく、非合理的な能力が求められる。その一つが幸運を呼び込み、運命を切り開く能力である。いかに優秀な指揮官でも、悲運の持ち主では、戦争に勝つことはできない。このことは、いかに見事な戦略を立てても、それを実践する指導者に、勝利を勝ち取る運気がなければ、戦略は成功しないということである。
 西欧発の近代科学は、研究の対象をその時代において合理的とみなされるものに限定する傾向がある。今日においても、非合理的なもの、超越的なものは、研究の対象から除かれている。だが、戦争に関する研究を深めていくには、「運命の女神」「勝負は時の運」などの言葉の根底にあるものに目を向けていく必要がある。
 私は、非合理的なもの、超越的なものを含めて真理を探究する営みを哲学と称してしている。後に項目5でシナ文明、日本文明、西洋文明、近現代の人類文明の軍事思想の歴史をたどるが、ここで前もって触れておくと、戦争や戦略に関する哲学的な探究は、一般に未だよく進んでいない。それは、諸文明の間で思想の相互理解が進んでいないことによる。人類が戦争の歴史の果てに真の平和を目指すには、文明の違いを超えた哲学的な真理の探究が必要である。

 次回に続く。

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