mixiユーザー(id:525191)

2021年05月11日08:27

225 view

仏教151〜ヤスパース

◆ヤスパース

 哲学者のカール・ヤスパースは、1931年に『現代の精神的状況』を出して、機械文明と大衆社会の中に埋没して自己を喪失している現代人を批判し、32年に『哲学』を著して実存哲学を提示した。ヤスパースによると、人間には、自己の力ではどうすることもできない状況、人間を限界づけている普遍的状況として、死ぬこと、苦悩、争い、罪を犯すことがある。これを限界状況と呼ぶ。人間は限界状況に直面し、自己の有限性を知ったとき、超越者と出会い、実存へと目覚める機会が与えられる。
 ヤスパースの実存は、個としての自己に真に目覚めた人間のあり方をいう。また、彼の超越者は、聖書に書かれた神と同一ではなく、哲学的な思考によって認識された存在であり、包括者とも呼ぶ。包括者とは、主観・客観に分裂する前の超越的な全体性であり、われわれがそれを確認しようとすると主客に分裂し、「存在そのものである包括者」と「われわれがそれである包括者」になる、とヤスパースは言う。これを神と呼ぶならば、彼の思想は一種の万有在神論である。西田幾多郎の哲学に通じるものである。
 ヤスパースは、自分の信仰を「哲学的信仰」と呼ぶ。哲学的信仰は、歴史のうちに現われたあらゆる信仰がそこから発している根源を求めるものであり、人間の心を常にあらゆる可能性に向かって開放し、その中で絶えず真理を求めていく生き方をいう。
 ヤスパースは、20世紀後半までの西洋の哲学者の中で、最も広い世界的な視野を以って思索を展開した哲学者である。1957年に刊行した彼による世界哲学史ともいえる『偉大な哲学者たち』では、第1巻でソクラテス・イエス・孔子とともに釈迦を取り上げ、ナーガールジュナについても書いている。
 ただし、本書は釈迦やナーガールジュナの思想を自ら深く研究し、さらに部派仏教や大乗仏教を広く研究したうえで書いたものではない。仏教学者が釈迦やナーガールジュナについて書いたものを編集して、思想の概要を記述し、それに自分の見方を書いたものである。
 ヤスパースは、「ブッダの教えは、洞察による解放を意味する。正しい知識はそのようなものとしてすでに救済である」とし、「ブッダは認識体系ではなく、ある救済の道を教える」と述べている。そして、仏教の唯一の救済は、「知識において無知を廃棄すること」だという。これは、四諦という四つの真理を「正しい知識」ととらえるものだろう。だが、釈迦の教えは、認識がそのまま救済となるという思想ではない。苦・集・滅・道の四諦の最後である道諦は、八正道を説くものである。八正道は、実践の方法である。正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つの正しい方法のうちの多くは倫理的な実践であるが、最も重要なのは、正定すなわち正しい瞑想である。その具体的な方法が、釈迦がヨーガの一種である瞑想を取り入れて基本的な行法とした禅那すなわち座禅である。
 ヤスパースは、こうした釈迦の説いた基本的な事柄を全体的にとらえてはいない。それは、釈迦の教えは、輪廻転生の世界からの解脱を目指すものであるが、ヤスパースはこのインド的な輪廻転生の観念を肯定していないことによるだろう。釈迦の教えは、ブラフマン(梵)とアートマン(我)の同一を説くウパニシャッドの有我説に反対してアートマンの存在を否定する無我説を提示し、その認識を以って輪廻転生の世界からの解脱を目指すものである。ヤスパースは、なぜ解脱を目指すかというインド的な宗教・思想の核心となる課題を理解して、世界哲学史で読者に釈迦やナーガールジュナの思想を伝えようとはしていない。
 ヤスパースは、釈迦が目標とする涅槃(ニルヴァーナ)を「永遠なるものの中へ吹き消されること」と理解し、涅槃において「超越」が達成されると理解した。彼における超越とは、真の実在であり、神の別名である。その神とは、哲学的に理解された神であり、包括者であるが、もとはキリスト教の唯一神である。それゆえ、ヤスパースの哲学的信仰は、無神教を説く釈迦の思想とは相いれない。
 また、ヤスパースは釈迦の無我説を否定する。彼にとって、自己の存在は否定できるものではない。それこそ、彼の哲学の核心をなす実存だからである。涅槃において「超越」が達成されるという彼の理解は、無我説の釈迦の教えより、有我説のウパニシャッドの教えに通じるものである。ただし、ウパニシャッドの有神教及び有我説は、仏教と同じく輪廻転生の世界観・生命観に基づくものであり、ヤスパースはそれを受け入れる者ではない。
 ヤスパースは、1935年(昭和10年)に、鈴木大拙に会っている。鈴木の著書も読んでいただろう。もし彼が早くから、有神教化した大乗仏教にまで関心を拡大し、『法華経』『華厳経』『大日経』や如来蔵思想・仏性論等を研究したならば、仏教に対する彼の理解が変化した可能性はあっただろう。だが、彼の仏教に対する関心は、限定的なものだった。
 結論として、ヤスパースは仏教に関心を持ち、仏教について著作に書いてもいるが、彼が仏教から影響を受け、その影響のもとに哲学を展開したということは認められない。彼は、異なる世界観、異なる思想を持つ者とも対話を行ない、交流を続けるという開かれた姿勢を以って、真理を追究しようとしたのである。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神〜新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

************************************
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する