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2017年11月28日10:13

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時代を越えて(167) 冷戦を規定する下部構造とは何か

1枚目 ジョセフ・マッカーシー 1908−1957
2枚目 ブレジネフ書記長 1907−1982 死後10年でソ連崩壊
3枚目 サンフランシスコの慰安婦像

 米ソ冷戦はレーガン大統領が吹っ掛けた「スター・ウォーズ」(それまでの核弾頭競争を一新した軍拡競争)でソ連の財政が付いていけず、社会主義体制が破たんしたことで終焉したとされている。
 その通りだと思うが、重要なのは上部構造の下にある下部構造ではなかろうか。ここで、「下部構造」というのはマルクスからの拝借だが、物質(生産力)と精神を再度逆転させている。マルクスはヘーゲルの構造理解を逆転させ物質を下部構造とすることで正常に戻したというが、やはりそれは間違いで、むしろイエスの言う「人はパンのみに生きるにあらず」が真理だと思うからである。
 つまり、冷戦とは真理をめぐる競争、言い換えれば正統性が米ソどちらにあるか、その奪い合いの競争が下部構造で行われていて、そこで勝った米欧が勝利を収めたとみるべきである。

 冷戦の当初においてはアメリカは負けていた。一番わかりやすいのはマッカーシー上院議員による非米活動委員会(レッドパージ)の散々の評判であろう。それでアメリカから追放された感じのチャップリンが映画「ニューヨークの王様」でマッカーシーをカリカチャライズしていたとのことだが。今でもリベラルから悪の権化のように言われている。
ここで重要なことはアメリカのイデオロギーがソ連に敗北したということである。私は原爆スパイだったローゼンバーグ博士のような人物を発見しようとする少々手荒い手段だったと見ているので、非米活動委員会は必要悪だったと思っているのだが。

 日本でも岩波・朝日文化人を主流としてアメリカを批判し社会主義を賛美していた。思い出せばいろいろあるが、まだ京都にいた学生のころ、京都の仏教各宗派の総本山の管主たちが中国に招かれたことがあった。多分、清水寺の管主だったか、その報告のような紀行文が新聞に掲載された。なんでも、中国では指導者(毛沢東)の下、一心に国土の建設に邁進している。それに比べて日本人は政治家も民衆も恥ずかしい、というような内容だった。その時は、宗教は共産主義に反対のはずだが(当時、拡大期にあった創価学会と共産党は不倶戴天の仲だった)、と怪訝な思いがしただけで、内容には疑問を持たなかった。

 ソ連の実態がいろいろな滞在記で明らかにされ、そして、ヴォスレンスキー「ノーメンクラツーラ(赤い貴族)」1981が十月革命(ジョン・リード「世界を揺るがせた十日間」皮肉にも著者はアメリカ人記者)に始まる共産党員伝説を打ち砕いてしまったのである。
で、ソ連崩壊は1991年だったが、正統性を失ったソ連共産党支配はあっさり崩壊した。

 今の中国は経済力にものを言わせるばかりで、後は、チベットや南シナ海進出でイデオロギー力はないと言わねばならない。
 で、それを埋めようというのか、まずは日本からというのか、「南京大虐殺」記念館だとか、今度は中国系市長がサンフランシスコに慰安婦像を立てた。これは中国と韓国の共演だったが。
 トランプ大統領に対しては、アメリカ建国の理念は「移民の国」だと言っているが、移民は移民でもプロテスタントによる信教の自由のためなのである。その自由のない中国やイスラム諸国がいくら主張しても正統性を奪うことはできない。

 ということで、サンフランシスコの慰安婦像は正統性をめぐる日米対中韓の戦いなのだが、少しややこしいのは戦勝国による「歴史修正主義イデオロギー」を中韓の方が奪い取っていることである。これは、逆マッカーシー委員会と言わねばならない。

 イデオロギー戦争は重要なのである。下部構造だから、ボデー・ブローのようなもの。


 

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