mixiユーザー(id:525191)

2017年01月18日10:24

522 view

天皇を象徴とした典拠〜小堀桂一郎氏

 大東亜戦争の敗戦後、我が国を占領したGHQは、占領政策の目的を、日本が再び米国及び世界の脅威とならないようにすることにおいた。一言で言えば、日本の弱体化である。最大のポイントとされたのは、天皇の権威を引き下げ、天皇の権限を少なくし、天皇と国民の紐帯を弱めることだった。
 現行憲法において、天皇は「日本国の象徴」にして「日本国民統合の象徴」と規定されている。だが、その象徴とは何かについて憲法は規定していない。
もともと我が国は祭政一致を伝統とする。天皇は本来、民族の中心として祭祀を司るとともに、歴史的には親政を行ってきた。貴族や武士に政権を委ねても、最も重要なことは、天皇が裁可した。本来の天皇は、象徴以上のものである。
 GHQに押し付けられた憲法に天皇は象徴と規定されたので、昭和天皇は、象徴天皇はどうあるべきかをお考えになり、ご公務に尽くされた。今上陛下は、先帝陛下の御事績を踏まえて、象徴天皇のあるべき姿を、誠実に実践究明されている。
 しかし、憲法に象徴という語が使われるようになったのは、GHQの起草者に深い考えがあったからではない。憲法の原案起草に携つたケーディスは「天皇は政治的権限を行使することができないのなら、一体どんな存在となるのか。国の象徴とか国民統合の象徴といった表現は、実は私たちがその起草の段階でふっと考えついてつくり出したものなのです」と語っている。
 この点に関して、昨年秋、東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏が詳しく書いたものを、以下に掲載する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●産経新聞 平成28年11月3日

http://www.sankei.com/column/news/161103/clm1611030005-n1.html
2016.11.3 13:00更新
【正論】
「天皇は国民統合の象徴」…その隠れた典拠を解く 東京大学名誉教授・小堀桂一郎

 以下に述べる事は筆者が年来機会ある毎に筆にしてゐる見解であつて、それを今更反復するのは学問人としては元来慎しむべき挙であるが、筆者の旧説などは世の識者方の記憶に留まつてはゐまいと思ふので、敢へて又記しておく。

≪ケーディス氏の記憶の空白≫
 古森義久氏は昭和56年にアメリカの或(あ)る研究機関の研究員として米国に滞在中、同じく滞米中の江藤淳氏の熱心な勧めにより、曽(かつ)てGHQ民政局次長として日本国憲法の原案起草に携つたケーディスに長時間会見し、米占領軍民政局による憲法起草作業の内幕についての打ち明け話を聞く事を得た。その結果は江藤淳編『占領史録』(昭和56〜57、新装版平成7、講談社学術文庫)の「憲法制定経過」の章に収められてゐる。
 古森氏とケーディスとの間の質疑応答は前文、天皇条項、戦争放棄条項の多岐に亙つたが、就中(なかんづく)、〈天皇は政治的権限を行使することができないのなら、一体どんな存在となるのか。「国の象徴」とか「国民統合の象徴」といった表現は、実は私たちがその起草の段階でふっと考えついてつくり出したものなのです〉とのケーディスの告白的回想は古森氏にとつて衝撃的だつた様である。古森氏はつい最近月刊誌『WiLL』でその思ひ出を語られたので、天皇の象徴規定とはそんな時の弾みから生れたものだつたのか−との驚きを人々の間に捲き起したらしい。本稿で筆者が持説を再言する動機もやはりここに関はつてゐる。
 ケーディスは地味で誠実な人柄だつたらしく、この時も古森氏に対し決してうそを言ふつもりもその必要もなかつたであらう。ただその〈ふっと考えついて〉の裏には本人も判然とは意識してゐない、記憶の空白があるのではないか、といふのが筆者の推測である。この推測は当つてゐなくても構(かま)はない、結果として偶然の符合であつてもよい事なのだが、この時彼の潜在意識の中からその文案に暗示を与へてゐたのは、新渡戸稲造による日本の天皇と国民との関係の説明だつたのではないか。

≪新渡戸稲造が示した認識≫
 新渡戸のその説明は昭和6年、彼がジュネーヴでの国際聯盟事務局での7年の勤務を終へるに際し、或るイギリス人の友人の慫慂(しょうよう)に応へて著した『日本−その問題と発展の諸局面』と題する英文の著述で、ロンドンのアーネスト・ベン社から出た。同じ年にニューヨークでも別の社から刊行されてゐる。この書がもし昭和21年にGHQの憲法起草委員達の手許にあつたとすれば、おそらく彼等の日本語通訳として作業に協力してゐた当時22歳のベアーテ・シロタが東京市内の図書館から借り出して提供したものであつたらう。
 この書の第4章「政府と政治」に〈かくて天皇は国民の代表であり、国民統合の象徴である。而して人々を統治と臣従の関係に統一してゐる絆の真の本質は、第一に神話に示された血縁関係であり、第二に道徳的結びつきであり、三番目が法的義務である〉といつた定義的な説明が見えてゐる。
 新渡戸が〈天皇は国民統合の象徴〉であるとの認識を示したのはこの書に於いて初めてではなかつた。該書より遙かに高名な、英文での著書『武士道』(明治34)でもブートミーが『英国民』でイギリス王室について〈それは権威の表象(イメージ)であるのみならず、国民的統一の創造者であり象徴(シンボル)である〉と説明してゐる一節を引いて、彼は〈この事は日本の皇室については二倍にも三倍にも強調せらるべき事柄である〉と注記してゐる。
 新渡戸の『日本』は昭和60年の全集刊行まで邦訳が無かつた。『武士道』は邦訳も明治41年が初版だつたといふ古さの故に概して忘れられてゐたので、新渡戸が天皇の存在を夙(つと)に〈国民統合の象徴〉と呼んでゐたといふ事蹟はとかく国民の認識から洩れてゐた。

≪過激な変革を要さない表現≫
 それ故に、総司令部案の邦訳が日本国憲法の草案として世に知られた時、その要綱では、天皇は日本国の元首の地位にあるとしたマッカーサー原案を伏せた形で、天皇は国家の象徴であり〈国民統合の象徴〉であると書かれてゐた事に識者達は大きな困惑を覚えた。
 この事態に最も真摯(しんし)に対処した知識人達の代表とも云ふべき和辻哲郎は、昭和20年から23年にかけて「国民全体性の表現者」を中心とする連作の論文を以て、象徴と表現する事が天皇の地位の革命的変化を意味するわけではないとの見解を展開した。もしこの時彼が新渡戸の過去の業績を知つてゐたならば、論策の有力な支柱となり得てゐたであらうが、それが無かつたから、和辻は〈日本国民の総意〉といふ字眼に力点を置き、総意の形成は歴史の所産であるとの立論を以て、国体は変更を受けてゐない事の論証に肝胆を砕いた。
 新渡戸、和辻両先達の学問上の考察を踏まへて問題を見てゐる私共は、象徴天皇制といふ枠組の維持には別段過激な変革を必要とするわけではない事を知つてゐる。国民の総意との観点に立てば帝国憲法と旧皇室典範に定められた皇位継承の慣例は依然有効である。(東京大学名誉教授・小堀桂一郎 こぼり けいいちろう)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ー

7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する