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2016年09月01日20:43

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時代を越えて(107) 読売新聞「論点スペシャル リベラルとは何か」

 少し前に、仲正昌樹「精神論ぬきの保守主義」を読んで日記に書いただばかりだったので、関連したテーマの論点スペシャルに注目した。

 読売新聞「論点スペシャル リベラルとは何か」朝刊2016.8.30 で、従来の保守と革新という対立軸が、保守とリベラルという対立軸に代わったことについて二人の論者が意見を述べていた。一人は、リベラルの立場から東大の井上達夫教授(法哲学)、もう一人は、保守の立場で、京大の佐伯啓思(経済思想)・こころの未来研究センター特任教授である。

 1.リベラルの立場 井上達夫氏「革新が改名しただけ」
 冷戦構造が崩壊して社会主義的傾向が退潮すると、日本では革新や左翼という言葉は使われなくなった。
 革新派はリベラルに改名したが、本来のリベラリズムではない。
戦後日本の文脈ではリベラリズムは左右両派から叩かれ、まともに受容されなかった。
 ☆海風:リベラルというと、保守党と自由党が政権交代するイギリスの議会政治を思い出す。戦後の進歩派(左派・革新)の立場からみれば、衰退しつつあるかっての植民地帝国にすぎなかったのかもしれない。それに、仲正の言う保守思想家はイギリス人が多かった。
 井上氏の言う右派とは誰のことだろうか。「大東亜戦争肯定論」の林房雄か? 三島由紀夫は革命家だったようだから、革新に対する復古という意味で右派と言えるだろうが、あまり大きな潮流にはなっていないのでなかろうか。

 象徴的なのは、今はリベラル派といわれる岩波書店の雑誌「思想」である。2004年に「リベラリズムの再定義」という特集の企画を頼まれたが、それまでリベラリズムの特集を組んだことが無いとのことだった。
 ☆海風:岩波と朝日新聞は進歩的文化人の牙城だった。その岩波がリベラルを名乗り始めた、と言っているのであろう。中身は知らないが、再定義と言っているので、多分、英米流のリベラルではなさそうである。多分、フランス革命の上に立つフランス流リベラルだろう。

 リベラリズムは歴史的に啓蒙と寛容の伝統に根ざす。その哲学的基礎は単なる自由ではなく、「他者に対する公正さ」という意味での正義の理念だと私は考える。自分の政敵にもフェアに振る舞うことで、政治社会を暴力的な無秩序の状態ではなく、言論と言論が戦う世界にすることだ。
 ☆海風:典型的な英米流だと思う。トランプ氏も過激だがリベラルの範疇にはいるだろう。

 その基礎になるのは法の支配や憲法で権力を統制する立憲主義である。ところが、護憲派リベラルは、自分たちの安全保障政策を政敵に押し付ける道具に立憲主義を利用している。
 ☆海風:中国は攻めてこないとか、もし攻めてきたら降伏すればよい、とか主張する人たちが護憲派だから(全部ではないにしても)。そもそも、現在の憲法(アメリカ流)が停止され、また中国流憲法を自主的に作らされる ことになるのが想定される状況で、立憲主義を主張するという矛盾に気がつかない? いや、承知の上か?

 米国のリベラルは、1930年代のニュー・ディール政策以降のもので、欧州の社会民主主義に近い。
 米国の保守は、小さい政府の経済的自由主義と伝統的な文化を重視する社会的保守主義の合体だ。
 日本型リベラルが、経済弱者や文化的宗教的少数者の保護を追求するのは結構だ。しかし、欺瞞的な9条護持論は切除すべきだ。9条をリベラル対保守の対立軸にするのは的はずれである。
 憲法に盛り込むのは、統治構造と基本的人権の保障だ。一方、非武装中立、個別的自由権、集団的自自由権などの選択などは安全保障政策の問題であり、憲法の根幹とは関係が無い。ただし、国民の無責任な好戦的衝動から政府が危険な軍事行動に走らないように、戦力統制規範を憲法に盛り込むべきだ。
 私は、国民の無責任化を抑止する徴兵制と良心的兵役拒否権をセットで導入することを提言している。これが今は無理でも、軍隊の文民統制と武力行使に対する国会の事前承認は憲法に明記すべきだ。この最低限の戦力統制規範すら現憲法が欠いているのは、9条により戦力が存在しないことになっているからだ。9条が戦力を縛っているというのは護憲派の嘘である。
 ☆海風:「9条により戦力が存在しないことになっている」状態を欺瞞的と言っているわけである。「徴兵制」とは過激だが、国民全員で守るという意味では当然のことかもしれない。スイスも徴兵制なのだから。
 昔、同僚の一人が、攻められたら皆戦うんだから自衛隊はいらない、と言っていた。「七人の侍」ではあるまいし、今の時代、十分な訓練を受けずに戦えるわけがないのだが。もっとも、彼の言うことは追い詰められた状態ではあるが、一種の徴兵制ではある。

 2.保守の立場 佐伯啓思氏「対保守の雰囲気装う」
 もともと日本の政治風土には、米国流のリベラルや保守の概念はない。
 米国は移民国家、宗教国家だ。建国時の宗教的信念と個人主義に帰ろうとするのが保守で、文化的多様性を前提に、少数派の権利を重視するのがリベラルだ。
 ☆海風:ここで個人主義というのは、まず自分の家族は自分で守る、それ以上の敵に対しては共同で自分たちの保安官を選挙する、というように実力で自衛する(暴力装置を持つ)個人主義である。刀狩り(銃規制)が進まないわけである。
 だから、保安官は地元民優先で、アメリカ人全員を平等に扱うわけではない。映画やドラマで、保安官が、ここから出て行った方が身のためだぞ、などと暴力団みたいなことを言う場面があったが、確かにお雇い暴力団みたいな側面があって、すぐ撃つのだろう。

 日本では戦後、歴史の一貫性を強調しつつ、現実には日米同盟を中心に国益を追求する保守と、社会主義に共感して労働者階級の利益をめざす革新が対立した。自由より社会主義という点で、革新はリベラルではない。
 米国型リベラルが重視した福祉や平等を実現したのは自民党だ。
 今の民主党(民進党)は国益より個人の権利や生活を重視し、一定の福祉や平等をめざすが、その程度のものは自民党の政策に吸収される。
 ☆海風:そういえば、小沢氏の「生活が第一」とか称する政党があった。
自民党は実益主義で、社会党は空想的社会主義と労働組合の賃上げと権利を守っていた(特に官公労)。ソ連の崩壊で社会主義幻想は破れた。今はアベノミクスと称して安倍首相が率先して賃上げの要請をしている。

 米国のように建国を巡る政治思想の対立も英国のように階級闘争もない日本には、2大政党のような根本的対立構造はなく、どうしてもポピュリズムに傾きやすい。
 第一次安倍政権は文化や日本精神を強調して失敗したことで、第二次政権は経済力を回復するために政府の関与を強める「新重商主義」に力点を置いている。
 だから、批判は安倍のやることはすべて嫌というアンチ安倍になってしまう。
 ☆海風:結局、対立軸は集団的自衛権と原発になってしまう。都知事選で鳥越氏がそれを主張したのだが、気の毒な結果になった。つまり、国論を二分する争点にはならないということだろう。新聞テレビは二分しているように報道するので錯覚したのだろう。

 今日のグローバル化のなかで対立軸があるとすれば、国を超えたグローバルな普遍的価値を設定できると考えるか、個別の国と文化を基本に、それぞれ緩やかにつながるインター・ネーション(国家間)の多様主義をめざすかだ。前者は新自由主義やネオ・コンサーバティブ(ネオコン)に、後者はリベラルや保守に近い。
 ☆海風:今、EUが分岐点にある。イスラムまで取り込もうとする今のやり方は無理だと思うのだが。イスラムがイスラムを捨てる日が来ると思っているのだろうか。そもそも、イスラムは戒律重視のガチのパリサイ派であって、内心を重んじるイエスの仇敵だったのである。「心にやましいところのない者がこの女を打て」と言ったらパリサイ派もしらけて引き揚げてしまった。ところが、イスラムではそうはいかない。

 ☆海風:全体として見た場合、井上氏と佐伯氏の間に対立軸はなさそうである。両者ともに、日本のリベラルを厳しく批判しているのだから。
 ここは、「日本型リベラル」にも登場してもらいたいところだった。多分、フランス革命を踏まえて、国会を包囲して憲法を無視する安倍政権を退陣させる、その権利があるとか主張するのだろうが。

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